ゲロまみれの他人=自分からのメッセージ メメント
クリストファー・ノーラン!聞いたことある!と思って、
メメントを見ました!
でもよく考えたら聞いたことあったのはクリストファー・ノーランではなく、
エドワード・ノートン(ファイトクラブなどに出演)でした!どうでもいい勘違い!
あらすじ!
記憶が数分しかもたないよ!
あらすじ終わり!
メメントねー。メメントモリ、「死を想え」かなーと思ってよく調べたら、「メメント」はラテン語で「思い出せ」みたいに訳すことができるみたい。あー「memory」とかその辺の派生なのかしら。
この映画、ジョジョ6部、ミューミュー看守の話の元ネタらしくて、荒木先生は割とそのまんま拝借しているようだけれど意外と、どちらを先に見たから後に見た方を楽しめないー、みたいなのはなさそう。
あとは博士の愛した数式とかを思い出すのもしょうがないですよね。
この映画!構成が恐ろしく独特で実際何が起こってどうなったかっていうのがひどく分かりにくい(でもちゃんと何度も見て考えれば分かるはず)ことになっているんですよ!
例えばですねー。ちゃんと時系列順に物語が進む映画がですね、10個のチャプターに分かれてたとします。この映画の編集がトチ狂ってチャプター10、1、9、2、8、3、7、4、6、5という順番に並べ替えて上映したのがメメントです。混乱するでしょう。
結末、過去、結末のちょっと前、過去のちょっと後、とシーンが切り替わっていき、終盤では何となく見方が掴めてきますが、最初はそのルールも分かっていないため何が起こっているのか分かったもんじゃありませんよ。
物語を引っ張るのは主人公の体中に刻まれた記録、写真や写真に対するコメントですよね。「奴の嘘を信じるな」とか主人公がそれを書いたはずなのだけれど、どういう経緯で書いたのか本人も覚えていないのだからもう何を信じていいのやら。
そう、思うにこの主人公にとっては「過去の自分」と「未来の自分」が明確に「他人」なんですよね。
「記憶がなくなる」っていう現象に出くわすことはそんなにないんだけれどなくはなくて、要は酒を飲み過ぎたときとかね。
翌日になって聞かされる「お前、糞尿とゲロを垂れ流しながら地面に這いつくばって死ねぇ、死ねぇ、殺す、殺すぅ、って譫言のように繰り返してたよ」という現実。
記憶のない間に俺の体を動かしているお前は誰なんだ?って凄く不思議に思ったことがあります。甚だ迷惑な話ではあるのですが記憶がなくなったときって自分が周りに迷惑をかけた感覚が薄いんですよね。他人が何かやらかしたらしいって感覚で。
(とはいえめちゃくちゃ謝るんですけどね)
だから「過去の自分」と「未来の自分」を自分たらしめているものってきっと記憶なんですよね。メメントの「数分で記憶がなくなる状態」っていうのはきっと、他人から状況を受け渡されて他人に状況を渡す状態なんじゃないかしら。こわっ。
(そんな状態でよくこの主人公は自信満々で自分のメモを信じられるな、とは思ったけど、自分が脆弱だからこそ本当の他人よりは過去の自分を信じるのかなー)
もうちょっと条件を緩くして考えると過去と未来の自分が他人にしか思えない瞬間っていうのは普段の生活でも結構あると思います。
中二病ポエムを書いていた自分、とか、あまりに初歩的なミスを犯す自分、とか、後で見た時に詳細を思い出せる程度にメモしたはずなのに全く思い出せない、とか、好きだと思ってたものがよく考えるとそれほどでもないってことに気付いたりとか。
あとは、過去の自分の書いたブログの記事とかを読み返してみると普通に「ナニイッテンダコイツ」ってなる、っていうのもそうですね。
日々を適当に生き過ぎているからこんなことが起こるのかもしれないけれど結構気持ち悪い状態ですね。もう少しリニアに整合性のある生活ができないものでしょうか。無理ですか。そうですか。
えー。なんか自信がなくなってきたのでこの辺で終わりますか。
「メメント」は自分の成り立ちの不確かさに言い知れぬ不安を覚えるいい映画でした!最後に自分への信頼度を試すクソみたいな問いかけでもして終わりましょう。
では。
記憶をなくした飲み会の翌日
「お前、糞尿とゲロを垂れ流しながら地面に這いつくばって死ねぇ、死ねぇ、殺す、殺すぅ、って譫言のように繰り返してたよ」
と語る友人と
「奴の嘘を信じるな」
といういつの間にか身体に刻まれた言葉
どちらを信じます?