饒舌に噴き出す幻想 「パプリカ」
映画、「パプリカ」を見ました。
だいぶ前に地上波?で放送されたのを見たときは意味が分からな過ぎて寝た記憶があるのだけれど、今になって調べてみると随分と楽しそうな映画に思えてしまい、実際どうだったのかと思って、見ました。
あらすじ!
新しく開発された、夢の機械DCミニ。この機械を頭に着けて眠ることで夢を他者と共有したり、現実のモニターに映し出すことができるのだ。DCミニを使用して人の夢、深層心理を分析し、研究、治療するサイコセラピスト、千葉敦子(あっちゃん)。
夢の中での彼女の名は「パプリカ」。
ある日DCミニの盗難事件が発生する。DCミニは人の深層心理に干渉することのできる危ない機械。事件解決に乗り出すものの犯人により悪夢を刷り込まれる登場人物たち。果たして、事件の真相は!?悪夢のパレードの行く先は!?
あらすじ終わり!
見直してみるとこの映画、細かい謎はしっかり残す割に大筋はしっかりと理解できるタイプの映画だったわ。大筋から狂ってると思ってたのに、昔の自分の理解力の低さを呪いつつ。
これはすごく楽しい映画でした。
想像力の地平のような極彩色の悪夢。夢の中を自由に飛び回る爽快感。愛らしい登場人物たち。平沢進の音楽。
夢なのか現実なのか、怖いんだか面白いんだか、あらゆる境界が曖昧になった狂人の脳みそ垂れ流しに、流れ流され翻弄されまくりの90分。だけど大筋だけはしっかりしてるから、ちゃんと最後まで見続けることができます。これ超楽しいです。
トリッキーなようでいて、実は物凄く素直なドキドキとワクワクがいっぱい詰まった開けてびっくり玉手箱映画だった気がします。
これはやっぱり「夢」っていう題材と、それを表現する監督やその他職人さんたちの成せる業だなと思って。
夢って、きっと誰にとっても一番身近なファンタジーであるはずなんですよね。
その世界が、いかに理不尽で、突拍子もなく、しかしそれが当たり前であるように振る舞うのか。ふとした瞬間に滑り込んできて、何でもありのくせに自分のこととなると意外と自由がきかない、とか。
夢の世界とは如何なるものか!
その恐ろしさや楽しさに関して普遍的に理解できているから、本当に素直にこの世界を楽しむことができたんだと思う。
(っていうのは「なるほどね」とか「そう来るか」とかの知的好奇心をくすぐる類の楽しさではない、ってこと。)
そう「これは夢だ、と理解できている夢」って感じ。
夢が夢だと気付くことができたら、あの訳の分からない世界を冒険したり、空とか飛んでみたり、あとは、エロいこととか…とにかく、やってみたいことなんていくらでもあるもの!
知性豊かな人の幻想で、その感覚を味わわせてくれるんだからもう、楽しいですよ。
(自分ごときの貧相な幻想ではあそこまでにはならない)
見てる間はそんな感じなんだけれど、見終わってみるとなにやら心にしこりがのこるような部分があって、「よく考えるとあれは何だったんだ?」と考えたくなる。
例えば、
問1、なんで夢が現実に噴き出したのか?
集団的無意識というのがあってりまして。長らく連絡を取っていない友人に久しぶりに電話をかけようと思ってたらちょうどその人から電話がかかってきた。とかあるやろ。あれっていうのは集団的無意識ゆうやつがふわふわーってその辺を浮いてて、相手と自分を謎電波でつないでるからなんや。つまり、思想が現実に漏れるっていうことは実際にあるわけ。じゃあ、DCミニを使って、沢山の人の幻想を貼って伸ばして肥大化させたら、あのレベルで現実に現れることも、あるだろうね。
みたいなこととかを考えたくなるんだけれど、我ながらあんまり素敵じゃない解答だなぁ。
作品のテーマ、メッセージ、とかも終わってみるとぼやっと見えそうな気になる。
なんだろう、「夢との付き合い方」とかだろうか。(ここでの夢は、将来の夢、とかそっちのも含む)
粉川さんとかだと、映画監督になる夢は叶わなかったけど、ただの映画好きとして映画を楽しむことができるようになったし。
時田さんはただ楽しいことをやってただけではあるんだろうけど、夢を叶え続けてる、夢を諦めなかった人って印象。(諦める必要がなかっただけでもあると思う)
どれがいいとは言わないんだけれど、
大人のふりして最初から諦めてないで夢とちゃんと向き合ってみなよ。だって本当はそうしたいんだろう?やってみたら心のマントルから火が噴きだすかもしれないぜ?
っていうくらいに受け取りました。これはなんか「白虎野の娘」フィルターを通した解釈になってしまってる気もするけど自分にとってはそれでいい。
「白虎野の娘」の解釈も自分にとってはそれでいい。それでハマる。