鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

オードリーを連れていきたい フェリーニのローマ

飼い犬が手を噛むので、今回は初めてのフェデリコ・フェリーニです!巨匠!

フェリーニのローマ」!

なんか他に代表作っぽいのがいっぱいありそうな気がするんだけれど、いつも行ってるレンタル屋さんにはこれしかなかった。

 

フェリーニのローマ [DVD]

 

あらすじ!

これが”フェリーニの”ローマだ!

あらすじ終わり!

 

巨匠の作品にありがちなストーリーのないタイプの映画です。

特に目的があるわけでもなくただただ「フェリーニの思う所によるローマ」を映像化した、という感じで(巨匠には何か深淵な目的があったのかもしれませんが)追うべきストーリーがないので結構眠くなります。

そして、ちょっとくらい寝てしまってもたぶんそれほど問題がありません。ストーリーがないので。

で、眠くなるからと言ってつまらないということは全くなくて、どちらかといえばかなり面白いっていう不思議な映画でした。なんならもう一回見たいですもん。たぶんまた寝てしまうんだろうけれど。

 

「巨匠のよくわからん映画」って、よくわからんかったけどこれを「よくわからんかった」って言ったらセンスがない人だと思われるから、「なんか面白かった」くらいには言っとこう、っていう心理、あると思うんですけど(過去記事のなかにもそういうのががたぶんあるのだけれど)、「フェリーニのローマ」に関しては、これは明確に「面白かった」です。

 

じゃあ何が面白かったかっていうと言葉で表現するのが難しいんですけど、私的にはフェリーニさんの映像に(「ローマ」しか知りませんが)他の映画では類を見ない、「魔術的」な印象を受けました。

いやいや、映画の中には奇跡も魔法もないんだよ。それを「魔術的」ってなんぞや、って話なんですけれども、そう思ったんですもん。

そうですね、感覚としては江戸川乱歩の小説を読んだときに近い気がします。

江戸川乱歩夢野久作、あたりの日本の幻想怪奇を代表する方々の本って、読んだことのある人なら分かると思うんですけど、他に類を見ない「いかがわしさ」「妖しさ」みたいなのがあるんですよ。で、「これは日本独自のやつだわー」「外人には無理なやつだわー」って思ってたところがあって、だいぶ前にそういう記事も書いたんですけど、

 

urutakonbe.hatenadiary.jp

 

フェリーニさんはそういうのをやってた人なのかもしれないなって。

これは個人的にはなかなかの発見なので、今はフェリーニさんの作品をもっと見たい気持ちでいっぱいですよ!だって外人でこんなのがあるとは思ってませんでしたからね!

 

フェリーニさんと江戸川乱歩の内容的な共通項としては、「見世物」とかが好きそうなところで、あとは個人的には「筋肉少女帯」で繋がりますが、これはたぶん「私の中でフェリーニ江戸川乱歩が繋がってしまった現象」とは関係ないでしょう。


飼い犬が手を噛むので - YouTube

 

私のローマ

話は変わりまして、ローマの話です。

今回は「フェリーニのローマ」ですので、ここで表現されたのは、私のローマともイタリア人のローマとも違う、イタリア映画界の怪人(今私が考えた通り名ですが)”フェリーニの”ローマ!なのです!巨匠の目を通すとローマはこう見える!

浅学なもので「私のローマ」はジョジョ5部のローマと、オードリーのいるローマくらいのもので、

ローマの休日 [DVD]

 

 

イメージとしては、陽気な紳士淑女がピッツァを食んだり、ナンパしたり、フラれたりする、ってくらいのものでありましたので、

 

オードリーが行かなかった裏のローマでは、

賽が投げられたり、猫も投げられたり、頭にはハトを乗せたり、フレスコ画は消失したり、若者はそこらへんで乳繰り合ったり、年寄は娼館で乳繰り合ったり、

してたのかなーなんて思うとちょっと楽しくなります。

 

オードリーを連れていけないローマ!

ローマの休日」と「フェリーニのローマ」を一緒にレンタルするのは案外楽しいかもしれません。

 

きっと、ローマを知る人の数だけ、それぞれのローマが存在するのでしょう。その中でも(たぶん)特に異質なフェリーニのローマ

は!

あなたのローマとはどう違うか、確かめてみてはいかがでしょうか?

良くも悪くも必ず新しい発見があると思いますよ!

 

 

秋の夜長の皮工作 ミシマスラッシュ式ブックカバー

読書家諸氏、秋の夜長をどうお過ごしでしょうか。

いえ、愚問でしたね。読書家の皆さまは「読書の秋」という古き良きフレーズを免罪符として昼夜を問わぬ読書三昧、現実と虚構の間を縦横無尽に駆け回り仕事や学校に支障が出る日々を過ごされているものと推察します。

夜寝る前のひと時に、電車など公共交通機関による移動の最中に、仕事や授業の合間に、空いた時間に少しずつ進めることのできる読書という趣味を持ったことは我々にとってかけがえのない財産なのではないでしょうか。

 

それにしても人前で本を開くというのはなんともエロティックな行為であります。知識のある人が相手の愛読書3冊も知ることができたなら、その相手の趣味僥倖、価値観、性格、口に出すことも憚れるような願望までも、たちどころに知られてしまうことが容易に想像できるからです。普段秘されている体の部分を晒すのがエロであるならば、服を裂き、皮を剥ぎ、内臓を抉り、脳髄にナイフを突き立てて尚、見ることのできない、心の奥の熱い部分を晒す危険を孕んだ「公共の場での読書」という行為は如何にもエロティックであるように思います。

これを恥として隠してしまうこともできますが、それはどうにも陰険な気もしますし、かといってあけっぴろげにしておくのもお里が知られてしまうようで憚られる。これは随分と厄介な問題であるように思います。

 

ここでふと思ったのですが、衣服を全て取り払って隠すところなど何もない素っ裸の状態というのはエロではあるのでしょうが深味に欠けるところがあるのかもしれません。

見る側の立場としては、上からかぶせられた薄い衣の下にあるそれが、ふとした瞬間にチロリと覗いてしまうかもしれない状況にこそ心惹かれ、欲情し、ともすればその相手に夢中になってしまうのではないでしょうか。

大いなる世界暦氏の変遷の裏に数々の美女、悪女の存在があったことはよく知られた話でありますが、彼女らは心と身体の最も深いところを決して露わにしない、男を虜にする「秘密を覆う薄い衣」をもってしてこそ、歴史を動かし得たのかもしれません。

 

であるならば、「公共の場での読書」の際にはやはりブックカバーにより表紙を隠匿するべきであるものの、使用されるブックカバーは全てを覆い隠す厚い衣であってはならない、ということになります。それは如何なるものなのでしょうか。

 

今回はそんなブックカバー製作の話です。

 

 

はい。

そういうわけで前置きが長くなりましたがブックカバーを作ったよーって話です。

前回作った時は文庫サイズだったので今回は単行本サイズです。(新書サイズも作らなきゃ)

 

urutakonbe.hatenadiary.jp

 

今回のコンセプトは二つ。

・表紙がちょっとだけ覗く。(金田一耕助シリーズの表紙が素敵に不気味なので)

・コンパクトで使いやすい。(前回のがえらいかさばる感じだったので)

 

必要な機構は一つ。

・いろいろな厚みの本に対応できること。

 

そんなこんなで作ったのがこちらになります。どうぞー。 

 

       表 ↓                裏 ↓

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      全体 ↓

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どうでしょう?

靴ひも方式でブックカバーの裂け目を広げたり狭めたりすることで紐の長さが足りる限りはあらゆる厚さの本に対応できるようになっています。

裂き方をどうするかがセンスの見せどころな方式だと思うんですが、今回は、「病院坂の首縊りの家」を入れることを想定して作ったのでこんな感じになりました。

これです⇒病院坂の首縊りの家―金田一耕助最後の事件

 

表紙がこんな感じなので、ブックカバーの裂け目から「目」が覗くようにしました。

          \いつも見てるよ/

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赤い表紙の本を入れたらいい感じに”傷口”っぽくなるかと思って「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」を入れてみる。

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 うーん、あんまり傷口っぽくはならないかな。

裂け目の一番下のところで紐をまとめてるやつは、傷口から血が垂れてるイメージだったんですが、あんまりわかんないか。

因みに、余りの紐は栞に使うことができます。

 

次に「好き好き大好き超愛してる」を入れてみる。

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 これは個人的には「MOMO色トリック」を思い出す感じです。

ピンクは血の色ピンクは血の色♪


P-Model - Pinky Trick - YouTube

  

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 文字ははんだごてで書きました。遠目に見ても下手なのが分かります。

実は文字はない方が普通にスタイリッシュなのですが「普通にスタイリッシュ」なのはあんまり趣味じゃないし、文字を入れてみたかったので。

(しかしながら皮にはんだごてで文字を焼き付けるという行為は「隣の家の少女」を思い出させる実に心の痛む作業でした)

 

文字の内容は結構悩んだのですが、「SUICIDE MISHIMA SLASH!!」にしました。スーサイドミシマスラッシュ!!

勿論、割腹自殺をした三島由紀夫のことですよ。

ミシマ「MISHIMA」の「H」を忘れたのは愛嬌です。

「切断」と「文学」をキーワードに、語感が良くて不謹慎な言葉を。と思って考えたらこんな感じになりました。なんか「己の美学」のために死ねる人なんだなって気がしませんか?しませんか。

あ、因みに余り紐の先っちょに付いてるのはナイフ形のチャームですよ。

 

裸のランチ (河出文庫)

 

文字の配置は「裸のランチ」の表紙を参考にしたような気がします。

うん、これは全然うまくいってないですね。こんなん気付く人は取り返しのつかないレベルのヤク中で、家ではウィリアムテルごっこをやっているに違いないですよ。

 

裏はこんな感じです。雑!

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 えらいシンプルなんで作り方の説明もいらないくらいだと思うんですけど、作り方の手順はこんな感じです。

 

1、本のサイズより少し小さめに革を切る。

2、好きな位置で真っ二つにする。(スラッシュ!)

3、裂け目の両側に等間隔でハトメを打つ。

4、紐を通す。(紐の先っちょの処理はお好みで。)

5、余った皮で左右の袋を付ける。(縁に縫い目を付ける。)

6、お好みで文字などを入れる。

完成!

 

MS式(ミシマスラッシュ式)ブックカバーの総括として、

まず使い勝手はなかなかいいです。かさばらないし。結構しっかりと締め付けることができるから、読んでる時のブックカバーのたるみも少なく、ちゃんとフィットします。

取り付け、取り外しは、いちいち紐を緩めないといけないのでやや面倒ですが、頻繁に行う動作ではないので問題はないでしょう。

 

注意点としては、MS式はしっかり締め付けることができるが故に文庫本などには向かないかもしれません(試してはいませんが。)ちゃんとしたハードカバーでないとふとした瞬間に表紙を曲げてしまうような気がします。

あとは、ハトメが直接表紙に触れるので、表紙を傷つけてしまう恐れがありますね。

 

そんなところです!

 

このMS式ブックカバーはハードカバー相手に限定されてしまうものの、使い勝手も良く、簡単に作れて、(おそらく文字さえ入れなければ)どうやっても結構スタイリッシュなのができると思うのでなかなかにおすすめですよ!

秋の夜長には読書だけでなく、皮いじりなぞいかがでしょう?

今時「残酷表現」をやるのは最高にパンク くるぐる使い

前回読んだ本が暗くて長くて爽快感のない類のやつだったので(悪いとは言ってない)、次はサクッと読めて楽しいやつを、と思って積読を見渡したところ、これが一番いい塩梅だったので。

くるぐる使い

 

あらすじ!

こじらせ少年少女の妄想、空想に容赦ないヌンチャクを叩きこむ!オカルティック青春物語5編を収録した短編集、あるいは経典。

あらすじ終わり!

 

 精神異常者、妄想狂、くるぐるちゃん、悪魔祓い、教祖、などなど、およそ如何わしいテーマばかりで描かれる素敵な1冊でございました。

私のお気に入りは表題作「くるぐる使い」で

ある外道が超能力少女を発狂させて見世物にした挙句、能力が使えなくなったら殺して、自分はのうのうと天寿を全うする。

という話です。 非道い!

こんな話なのに読んでみると「絆」だとか「愛」のようなものが確かに感じられて、読後感も悪くないから不思議です。細い綱の上をふらつきながらもなんとか渡っていくような、この訳の分からないバランス感覚がオーケン節だと思います。タレント本だと侮るなかれ。上手い文章、だったり、美文、とかでは全くありませんが、オーケン本には他のちゃんとした作家からは得られない謎の感覚(不快感ではない)が確かにあるんですよ。宗教の勧誘ではありませんが普段ちゃんとしたのを読んでる人ほど読むべきだと思います。

 

筋肉少女帯の曲と重なる部分が多々あるので、筋少のことを知っている人にとっては、曲の世界観の補完なんかにも一役買ってくれると思います。

「くるくる少女」、「パレードの日、影男を秘かに消せ」、「レティクル座妄想」の桃子曲、などが近いです。

 

あとは、あからさまな江戸川乱歩夢野久作リスペクト、映画からの引用などが多々見られます。このへんもいつも通りですね。しかしネタ元が分かりやすいというのも筋少オーケン関連のもののいいところだと思っていて、なんというか拡張性があるんですよね。「くるぐる使い」を読んだ後で、江戸川乱歩に進むきっかけになったり、「妄想癖によって視野が狭くなりがちな人」なんかを別の世界に連れ出してくれるような側面は確かにあると思います。「いじめで自殺してしまう子は学校だけが世界の全てだと思ってしまっているから云々」みたいな話はよく聞くけど、そういう子を図書館に連れ出す謎の魔力がある気がします。本の中の言葉で言えば「へらへら生きるコツを教えてくれる」という感じ。

 

「残酷」「不謹慎」表現について 

 ここでちょっと書いてみたいのが「残酷」「不謹慎」表現についてです。

っていうのも「くるぐる使い」を読んでいる間に「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」のアニメを見たり、「食人族」のBDが残酷表現にクレームが入ったために発売中止になるだのならないだのっていうニュースを見たからなんですけど。「くるぐる使い」もそういう理由かどうかは知らないけど絶版状態で、今出版しようと思ったら一悶着ありそうな内容だしで、書きたくなったので。

 

 下ネタや残酷、不謹慎などの「過激」とされる表現が規制(というか自粛?)されつつある昨今ですけど、それってどうなのみたいな話です。

月並みではありますが、よくないですよねー。

例えば本に関して言えば、あんなものは所詮紙とインクの染みですよ。そこにどんな思想を乗せたところで、(例えば少子化対策のためにレイプを推奨したり、障碍者を間引きする法律を作ろうと提案したり)どこにでも頭のおかしいやつっているよねーとスルーされて埋もれていくだけです。現状ではそうだと思います。

しかし、頭のおかしいやつらを規制によって徹底的に排除し、あまねくすべての表現が正しいものとなったらどうでしょうか。

なんかうまいこと規制の網をかいくぐって発表されたレイプ推奨文も正しいものとして受け入れられてしまう事態が想定できてしまうのではないでしょうか。 (勝訴!勝訴です!)

 

「頭のおかしいやつはいるものだ」という認識が大事で、「過激」な表現を快いと感じようが不快と感じようがそこで規制をかけるのは違うと思うのです。(というか不快だからこそ意味があるような側面がある)

 

 パンクの時代

「過激」な表現が規制されつつある昨今だからこそ、逆に高まっているエネルギーみたいなものも実はあると思っていて、それっていうのは要は「怒り」です。

抑圧されると反発したくなるし、規制されると余計に欲しくなる。どういうわけか人間というのはそういう風にできているようなところがあります。

下ネタという概念が存在しない退屈な世界」なんかも、昨今の自粛傾向と、それを憂う人々がいるからこそ製作され、かつ受け入れられることができたのではないでしょうか。で、「最近の自粛傾向がムカつく」って言うのは、「表現をするに至る初期衝動」をしてはすげぇ真っ当ですよね。

 

「音楽がつまらなくなった」とか「アニメがつまらなくなった」みたいな話はちょっと前からよく耳にする話題でありますが、仮にそういう状況が確かだとすると、原因の1つは「初期衝動不足」にあると思うのです。

「会えなくて切ない歌」だとか「明日に向かって手を伸ばす歌」だとか「もう一人じゃない歌」みたいなのは毎年500曲くらいは生産されているであろう普遍的に扱われるテーマでございますが、それゆえに誰でもそれっぽいことが言えるような内容であるのです。初期衝動なしにテキトーにそれっぽくすることを考えたらだいたいこういう感じになるのだと思います。

 

かつてロックは社会への不平不満、怒りの全てを音として発散する闘争の音楽でありました。しかし、時代の流れとともに人々の怒りは薄れ、ロックはなんかそれっぽいだけの商業音楽になり果てました。商業主義に屈した軟弱なロックを憂い、ロックに怒りをぶつけたのがパンクでございます。

イマドキの音楽がつまらないと感じるのならば、その憎しみこそを表現するべき時が来たのではないでしょうか。

 

革命前夜でございます!

今に黙示録のラッパが鳴り響き、アンダーグラウンドに押し込められた戦士たちが太陽の元に集い、パーリィ族たちを駆逐するでしょう。悪徳は栄え!日本は印度になり!狂人は解放され!影男たちは犯罪という猟奇の果てに死んでいくでしょう!

 

そんな時代を血のような赤で彩るために必要なものこそが「過激」「残酷」な言葉の数々でございます。「過激」「残酷」表現は忌避され抑圧されつつある手法でありながら、使いようによってはゲロを吐かせるくらいの強烈な効果を持っています。良くも悪くも心を動かすという一点に重点をおくならばこれ以上の武器はないでしょう。

 

では、来るべき日に備え、今の私たちにできることとは何か!

モーレツア太郎に教えを乞うことなのではないでしょうか!

 


モーレツア太郎/筋肉少女帯 - YouTube

 

 

後半ちょっと筆が乗りすぎました(反省)

不憫な松恵は救済されるべきか 鬼龍院花子の生涯

宮尾登美子さんの小説「鬼龍院花子の生涯」を読んだ後、それを原作にした五社英雄監督の映画版を観たので、それについて書きたいと思います。

 

鬼龍院花子の生涯 (文春文庫 み 2-1)  鬼龍院花子の生涯 [DVD]

 

普段だったら、「原作の方を読んだら映画版とかは見なくてもいいかなー」と思っちゃうんですけど(逆も然り)、今回は気になったので。

っていうのもですね、映画の方は夏目雅子さん演じる「松恵」の「なめたらいかんぜよ!」という名台詞がある(らしい)っていうくらいの知識はある状態で先に原作を読んだんですけど、原作の方の松恵があまりにも不憫で不憫過ぎたものですから、格好良く啖呵を切る松恵がどうにも想像できなくて(というか松恵が啖呵を切るタイミングがあったか?)その疑問解消と、あるいは「不憫な松恵」が救われる世界もあるのかもしれぬと思い、見ることにしたのです。

 

あらすじ!

時は大正ところは高知、その界隈で名をはせた侠客”鬼龍院政五郎”人呼んで「鬼政」の家に養子として貰われた松恵。鬼政の嫡子でもなければ妾でもない松恵はやくざものたちの家でどのように生きたのだろうか。

あらすじ終わり!

 

原作

まず原作なんですけれども、「高知の遊郭で芸妓紹介業を営む岸田猛吾の子として生まれる」という宮尾登美子さんの経歴に裏打ちされた(と思う)確か過ぎる描写力を存分に楽しむことのできる本でした。

なんというかですね、全ての物事についてその背景から順序だてて、筋道の通った組み立て方をされている、みたいな感じです。原作本はまず、舞台となった高知県の納屋堀あたりの土地柄、時代背景の説明から始まるんですけど、(土地柄から始まることが既にね…)海が近くにあるこの町では人々はこういう仕事で生計を立てていて、潮風が生臭く、四六時中波の音が聞こえてくる、建物はこんな風でしけの時でも大丈夫なようになっている。労働者の組合みたいなのもあって誰々が取り仕切っている。

みたいな。すごく事細かく説明してくれているのだけれど、それぞれの要素が関係し合って結果的にこういう町になっているっていうのがよくわかるようにまとめられていて、この描写力はすさまじいなと思ったのです。

冒頭の50ページくらいが特にこんな感じで、別に明るい話題は全然出てこないのに(むしろ暗いのに)「懐かしい故郷について語る友人の話」を聞くような嬉しさがありました。

原作の方はこの描写力によって繰り出されるやくざ、侠客の商売の仕組みや、対外関係、女関係、内部の人間はどういう思いで暮らしていたか、みたいなことが楽しかったです。

物語的な楽しさもあるのだけれど、本全体に漂う暗く、何かを諦めたような雰囲気とか、松恵がただただ不憫過ぎて全く報われない感じがつらかったです。

物語の王道としては最後の最後には多少なりとも救われるものだと思うのですがこの原作にはそれがないものだから、松恵だけでなく、松恵が救われることを信じて読み進めた読者さえも絶望と虚無感の中に置き去りにする結果になっていました。

私も随分と虚無っていたのですが、今になって思うと、そういう所が作家、宮尾登美子さんの表現したかったリアルなのかもしれないなと。物語とか関係なく、読者に媚びることなく不憫な人を不憫なまま描き切った結果だったのかもしれません。

 

映画版

映画の方はそういう原作の性質からはむしろ逆をいくようなところがあって、原作が結構長い作品とはいえかなり内容が端折られてるし(ただしエロシーンは除く)、鬼政は割と小物臭いところがあるし、松恵が不憫なのは変わりないのだけれど、内容が端折られている分「生涯通しての不憫」感が薄いし、なんか最後の方で鬼政が「本当は松恵のことを大事に思っちょった」みたいなことを言い出すしで、うん、けっこう違ってました。そうか、これなら「なめたらいかんぜよ!」みたいな台詞が入るのも頷ける。

まぁこういうのは先に読んだ、観た方を正統とみなしてしまうやつだと思うから、映画から先に見たら「なにこれ原作暗すぎ」とか思ったのかもしれません。

 

映画を先に見ていれば「松恵のことを大切に思っちょった」くだりはすんなりと受け入れられるのかしらん。自分としては原作の方で松恵のことを最後までないがしろにし続けた鬼政や歌さんのことを知っているから、「どの口がゆうちょるか!」とちょっと怒りが湧いてくるくらいだったけど、 物語的な構成を考えたらやっぱりこうなるのかなぁ。この映画が不憫なまま終わる映画だったら、当時もヒットすることもなく今になって私の目に触れることもなかったのかもしれないからなぁ。

 

あ、でもあれです夏目雅子さんとかエロシーンはよかったです。「吉原炎上」のエロシーンは超えませんが映画1本で何人脱がすんや、五社英雄、と感心するほどです。昭和の女優さんって結構脱いでたよなぁ。

 

 

(そういえば「鬼龍院花子の生涯」なのに「花子」のことは全く書いてないなぁ…。でも花子はなんかどうでもいいんだよなぁ。)

罪なき人を痛めつけよう 魔女の秘密展

先日こういう記事を書いたんですけど。

 

urutakonbe.hatenadiary.jp

 この時作ったブックカバーって一応、当初の予定として「魔導書」っぽいものを目指したものだったんですね。で、ですね。魔導書ってなんぞや?ってことを考えるんですけど、なんにもでないんですよねこれが。もはや「魔導書」を目指してないと言っても過言ではないというか目指してないという惨状でありましたので、これはアカンと思いまして、「魔術」についての造詣を深める必要を感じたのです。

 

というわけで

名古屋市博物館「魔女の秘密展」

に!行ってきましたー!


魔女の秘密展 開催告知「善か悪か」篇 - YouTube

「信じる」「妄信する」「裁く」「想う」の4つをキーワードとして、魔女とは誰であったのか?という疑問を歴史の変遷とともに紐解きます。

 

超常なる技術に通じ不思議を可能にする魔女を、理を解さぬ無学の民は神の領域を侵す不届きものと恐れながらもその知恵を拠り所とし、両者の間には平穏とは言わぬまでもある均衡の保たれた関係が形成されていました。しかし均衡は壊れるのです。紛争、疫病、飢饉、大禍に見舞われた民たちは全ての責任を魔女に押し付けたのです。説明のつかぬ災いは魔女の仕業、あるいは魔女の不徳に対する裁きとみなされ、クラーマー著「魔女に与える鉄槌」はベストセラーになりました。「さぁ、狩りに出掛けましょう!」キリスト教過激派の熱心な啓蒙活動により「忌むべき魔女は殺さねばならぬ」との考えを植え付けられた民は魔女狩り、異端審問に勤しむのでした。言いがかり以外の何物でもない嫌疑をかけられ、拷問された挙句焼かれるという、そんな酷い最期を迎えた人の数は一説には数百万人にも及ぶのだとか。更に時は経ち、化学の発展とともにそれまで魔術とされてきた超常は日常へと姿を変え、魔女はほとんどいなくなりました。しかし、かつて存在したとされる「魔女」なる存在は創作家たちの想像力を掻き立て、物語や芸術、民話伝承として現在まで語り継がれ、人々に親しまれているのです。

 

みたいな。

思い違いもあるかもしれないし、非常に大雑把なまとめだけれど、そういうことだと理解しました。

 

一貫して、

「特に悪いことをしたわけでもないのだけれど悪魔とファックするやばい奴らだと決めつけられて⇒虐げられることになったかわいそうな魔女たち」

のストーリーを当時の歴史的な事件や、宗教、思想の観点から分かりやすく伝えてくれる内容となっていたと思います。

最初のブロック意外は基本的に「無学の民から見た魔女」や「キリスト教過激派から見た魔女」を描いたあれこれが展示されていた(と思う)ので「魔女の秘密」展ではなくね?みたいなこともチラッと思ったけど楽しかったからいいです。

 

「楽しかった」とか言ったそばからですけどあんまり魔女の歴史は楽しいものではなかったみたいですね。魔女狩りゾーンは正直かなりエグイです。「スペインの長靴」や「棘のある椅子」をはじめとした数々の拷問器具が展示してあり横に解説が添えてありました。ああいうのってネットで画像検索するだけでもヤバさは伝わるんですけど、実物を目の前にすると想像力の上を行くヤバさを感じられてヤバいですよね。たぶん使ってみたらもっとヤバい。ある拷問器具の説明「まず歯が折れ、次に顎が砕ける」ってなんだよ…。

あの無慈悲な金属たちは一見の価値ありだと思います!

「梨」とか「車輪」とかがトラウマワードになりますよ!

 

「異端審問」の体験コーナーは少しチャチではあったけど、あの論調で拷問送りにされるっていうのはあまりに理不尽で、他称魔女の皆さまの無念は計り知れないものだったろうなぁと身を焦がされる思いでした。火あぶりだけに…。

 

と、ここまで見てきてからの「近現代のみんなに親しまれている魔女」ゾーンの「だからなんだよ」感!ですよ!

いやいや。すげぇ素敵な絵とか像とかばっかりなんだけどさぁ。この素敵な魔女たちが「あの拷問」を受けて死んでいった人たちだと思うとどうにもやりきれねぇのですよ。魔女を素敵に描いたからって「いわれなき罪によって手錠をかけられ拷問された挙句に焼かれて灰になった隣の家の奥さん」は報われねぇよ!と。どういう神経で描いてるんだろう?「デビルマン」とかの方が死んでいった魔女に対する誠実さが感じられるじゃねぇか。どうなんだろう「魔女狩り」から100年もたった後の作品たちだったんだろうか。

(歴史とか関係なく作品単体で見るとやはり素敵なんですけどね。)

 

以上!総じて素敵な企画展でございました!

人類の愚行の歴史、集団ヒステリー、人道的でない人の痛めつけ方などに興味のある方は是非!足を運んでみるといいと思います!興味がなくても「戦争を忘れてはならない式の論理」で足を運んでみるのがいいと思います!

 

決して素敵じゃない魔女たちに!会いに行きましょう!

読書家の狂気を表現する 革のブックカバー製作

読書家諸氏、お盆はどうお過ごしでしょうか。

帰省や旅行などで長い時間を移動に費やす方も多いことでしょう。

そんな時に旅のお供として重宝するのが本であることでしょう。読書家の皆さまならば長時間の移動はむしろ積読の消化に充てられる大変貴重な時間として認識している方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

そんな移動中の読書の際に問題となるのが表紙でございます。

読書家の皆さまから見れば表紙がどんなものであろうと気にすることはないのでしょうが、人の世は残酷なもので電車で「ライトノベル」を読んでいる方を「犯罪者予備軍」とみなし軽蔑の眼差しを向ける「健全な紳士・淑女」も少なくありません。この御時世、電車で「ドグラマグラ」だとか「O嬢の物語」だとか「我が闘争」だとか「アナモルフォシスの冥獣」なんかを読もうものならば即刻通報されてもおかしくはないのです。「1984年」のような社会はもうすぐそこまで来ているのです。

 

そんな社会に生まれながら、移動中に「不健全な読書」を楽しむための方法があります。

そう、ブックカバーをすればいいのです。

ただちょっと紙を折って被せるだけでこと足りるのでございます。ちょっと拘りたい方も本屋に行けば上質な紙製のもの、布製のもの、革製のもの、それぞれちゃんと用意してあり、満足のいくものが見つかるでしょう。

 

では、もっと拘りたい方は?

 

そもそも、読書家は勘違いされている部分があると思います。本屋で売られているブックカバーは「おとなしく」「落ち着いた」「知的な」イメージのものが多く見受けられますが、そうではないのです。読書家とは「脳髄からはみ出ない範囲でいかがわしい夢想をし」「行動を起こさない程度に過激で」「現実問題とは違う次元の迷宮を彷徨っている」ものなのではないでしょうか。象牙の塔の頂に立ち夜空に高笑いを響かせるような「読書家の狂気」を表現したブックカバーを探し求め、心当たりを見て回ったものですが、これが見つからない。

 

かくなる上は自分で製作するしか方法がないのでございます。

 

 

前置きが長くなりました!上記のはブックカバーの製作理由とか私の主義主張というよりも、今回のコンセプトだと思っていただければ幸いです。中二病で思い込み、思い上がりが激しそうな感じ。

そういうわけで作ったのがこちらになります!

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どうでしょう。魔導書チックなのを目指したものの素材の選定が適当だったので(十字の紐の質感が優しすぎる、縁取りが紅白でおめでたい)魔導書的にはちょっとうまくいってない感じです。どちらかというと冒険家チックかなぁ。こんなの持ってるやつみたことないとはいえ狂気もちょっと足りてない気がします。あとはそうですね、中学生がやりがちな「無計画な詰め込み」の過ちを犯してしまっているきらいはありますが、機構と形状に関しては結構気に入ってます。初めて作ったやつとしては及第点にしていいんじゃないでしょうか。ダメ?

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上の写真左側の金具で、紐の長さを調節することで右側縦の紐が繋がっている耳の部分が移動できるので、いろんな厚さの本に対応できるようにしました。

あと吊るしたりできます。素敵!

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中はこんな感じ。(さしあたりラブクラフトさんを入れてあります。)長い紐が読むときに邪魔になりそうです。

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作り方を簡単に書いておきましょう。

 

材料、必要量、購入場所  

・牛皮 文庫本カバーサイズ 東急ハンズ

・革紐 6m程度 100均

・布紐 1m程度 100均

・鋲 15個 手芸屋さん

・輪っか 1個 手芸屋さん

・角かん 2個 手芸屋さん

東急ハンズが便利だけどたぶん拘らなければ牛皮以外は全部100均でそろうかも。

※鋲を打つのと、革に紐を通す穴をあけるのに専用の工具が必要。

 

1.本のサイズ+カバーの折り代+耳 の大きさに革を切ります。

 (耳は折り代部分に30㎜くらいの高さでつける)

2.縁をかがると同時に下写真右側の表紙を滑り込ませる部分を縫い付ける。

 (自分のは右側と耳の部分だけシングルスナッチでかがりました。左側はかさばって

  はいけない部分なので単純に巻いただけ)

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3.各紐を適当な長さに切り、鋲で取り付ける。

(これは実際に本を入れてみながらゆっくり調整するのがいいと思います。取り返し 

 のつかない作業も多いので。鋲の配置なんかにセンスが出ると思います。自分のは…

 うん)

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非常にざっくり書くとこれだけなんですが、いろんな調整があるので初めて作ろうと思うと結構時間がかかると思います。

鋲なんかは種類もいろいろあるし、かがり方もいろいろあるみたいだし、革は焼き印で文字とか絵が打てたりするみたいだから、まだまだいろいろできそうな感じです。(文字とか書きたい場合はもっと明るい色の革を選んだ方がいいのかしら。)

 

不健全な読書のお供に不健全なブックカバーはいかがか?

群衆を殺してやりたい 群衆リドル

久々に古野まほろ成分を摂取したく、「群衆リドル」なる本を手に取った次第です。

群衆リドル Yの悲劇’93

あらすじ!

フツーの元女子高生渡辺夕佳の元に突如届けられたなんかすげぇ館への招待状。せっかくなので恋人の同伴の元ご招待に与ることにしたものの、行ってみた先で出会ったのは同様に招待された如何わしい人々。橋は落ちるし、外は猛吹雪。こんな状況だから当然電話線だって切られるし、当たり前のように殺人だって起こるのであった。

あらすじ終わり!

 

正直なところ自分の思う所による「古野まほろ成分」がかなり薄めで、最初の期待に沿うものではなかったです。「天帝シリーズ」が好きで、その延長として本書にたどり着いたので。自分としてはもっと、無駄知識や作者の趣味僥倖を偏執的かつ衒学主義的にひけらかしたメガ盛り超絶技巧練習曲1番みたいなやつを渇望していたので「群衆リドル」はちょっと違ったのです。だって古野まほろ小説から無駄をそぎ落としたら普通のラノベになっちゃうじゃないですか!

読みやすいといえば、そうなのかもしれないのですが、私は読みやすさは求めてないので。「天帝シリーズ」が非常に曲者で賛否両論(否が多め)あるシリーズなので(各種レビューサイト参照)、「天帝みたいなのを!」という人には薄味に感じてしまうかもしれませんが、「初めての古野まほろ!」という人には楽しめるやつなのかもしれません。

(初心者も最初から天帝シリーズを読めばいいと思うけどね。で、半分くらいの人は壁に投げて壁に穴が空けばいい。)

 

「群衆リドル」の話をしましょう。遠回しなネタバレを含みます。

 

変な本を読んでる人はだいたいそう思ってるはずなんですけど、「群衆」ってやつは憎くてしょうがないクソの塊みたいな存在なんですよね。

「群衆」って要は個人の集合であるはずなのに各個人が望んでいるとは思えない方向に動き出したり、逆に全く動かなかったりと、意図が全く読めなくて正しいとも思えない決断を下し、かつその決断をものすごい力で固持する迷惑極まりない奴らなんです。

その理屈というのも「普通こうだから」「みんなそう言ってるから」など、およそ自由意志のある生物の発言とは思えないものだったり、意見を変えない理由も「多数決で勝ってるから」というだけだったりと下劣極まりないものばかりなんです。しかも、「群衆」は大きい流れに乗っかっただけであり、特定の個人がその中心にいたというのでなければ、間違いがあったところで責任がどこにもないという性質を持っています。

「論理も主義も主張もない癖に権力だけ持っている集団であり、自分たちの下した決断に対し責任は取らない」というのが私の中の「群衆」のイメージ。「変な本」を嗜み、普段から多数派には属さないような人たちには分かってもらえるのではないでしょうか。あるいはそうでもないのでしょうか。

 

本書は群衆に対しての復讐の物語です。

ただし、「本書の中の群衆」と上記の「私の中の群衆のイメージ」は被るところはあれど、結構異なるのであしからず。(そこら辺は私怨の問題です。)

 

しかし、群衆に対しての復讐がその群衆の中の5、6人を殺すだけっていうのは、それはなんて悲しい復讐なんでしょう。そんなもの群衆にとっては痛くも痒くもないじゃないですか。今回の犯人は夕佳の存在に救われてたかもしれないけれど、下手したら全人類に向いてもおかしくない憎しみをぶつける相手が、これだけで足りるはずはないんですよ。当事者であったはずの相手がもっとたくさんいるはずなのに、責任のある人間はいないも同然っていうのはなんてもどかしいんでしょう。一体この絶望はどうしたらいいのかわかりません。

 

自分はそんな群衆にならないように気を付けつつ、

どうにかして群衆を殺してやりたい。

 

巻頭歌「群衆」


Edith Piaf - La foule - YouTube