鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

アナモルフォシスの冥獣 は破格ミステリ

表紙で気になってた「アナモルフォシスの冥獣」を読みました!

この表紙です!素敵!枕元に置いときたくない! 

アナモルフォシスの冥獣

 

不謹慎界のカリスマ!奇想漫画家!駕籠真太郎の描くミステリの新機軸!これは、新しい!

 

あらすじ!

知る人ぞ知る降霊イベント「アナモルフォシスの館」。なんでも故人の死んだシチュエーションのセットに霊を呼び出すんだとか。その中で2日間過ごすだけでえらい額の賞金が手に入るんですって。そんなうまい話に騙されたチョロ松たちが次々に非業の死を遂げていくのです!

あらすじ終わり!

 

これはいいですよ!

バカミスとの評価をされがちな本書ですが、確かにバカミスではあるし、確実に本格ではないにしても変格まで行くかというとちょっと迷うくらいの破格っぷり。

そう、破格ミステリ!

 

割とネタは出尽くした感のあるミステリ業界においてこんなにも新しくて面白いトリックに出会ったのは久しぶりだ。島田荘司以来かもしらん(当社比)。

漫画ならではのトリックであり、漫画家ならではの発想だと思うから、小説の形式でのミステリを読んでる人には新しい視界が開けるかも。

駕籠真太郎が描いたからバカミス扱いされてるけど島田荘司が書いたら大傑作になっていた可能性すらあるんじゃねぇの。

解決編を読み終わった今だから全編通して楽しい茶番に読めるのだけれど、初見では普通に怖くて、「あれ、ミステリって聞いてたんだけどホラーだったか?」と巷の評を疑ってしまうところまでミスリードさせられるのでさすがです。駕籠さんたぶん普通に怖い話、とか普通にいい話とかも描けないわけではないんだろうなぁ(絶対に描かないという意味では描けないんだろうけど)。

 

表題作以外のクソ茶番も素敵です。こっちの方が私の知ってる駕籠真太郎です。

 

表紙にめげずにレジに持って行った甲斐のある漫画でした!

美しき緑の星 あるいはプッチ神父の天国

「美しき緑の星」とかいうなんか異様な雰囲気を放つ映画を見つけたので見ました!

なにやらこの映画を見ることで”切断”され、大いなる目覚めに至ることができるのだとか。

はぁ。

 

あらすじ!

この星は地球よりも文明が進んでおり、貨幣制度はなく、機械の一つもない。みんなで作った食べ物や刃物を必要なだけ配給し、幸福で豊かな生活をしているのでした。そんな星から地球に、一人の女性が派遣されたのです。

あらすじ終わり!

 

この映画では派遣宇宙人ミラが全編通して現代の先進諸国で見られるような価値観、習慣、等をかたっぱしから古臭い偏った考えとして否定していき、正しい生き方、考え方を人々に伝えていきます。その考え方は実にシンプルかつ、本質をついており、その素直さが人々の胸を打つのです。

ミラたち宇宙人は基本的には地球の人々と変わらないのですが、物質的な文明を持たない分、「人間の中に眠る秘められた不思議な力」みたいなのが覚醒しており、パッと言語を習得したり、泡みたいなやつで地球に移動したり、テレパシーで話すことや、”切断”だって思いのままなのです。

 

”切断”っていうのがこの映画の楽しい要素の1つなんですけど、「”切断”って何?」っていうことをいまいちちゃんと説明してくれないので、言語化が難しいのですが。思うに、「社会と切れる」みたいなことかなと。

私たちはみんな多かれ少なかれ「自分自身の価値観」でない「世間の価値観」みたいなものを通して物事を見ている部分があると思うんですよ。”切断”というのはその「世間の価値観」から解放されるということ。

 

「世間の価値観」と「自分自身の価値観」は全然違うっていうのを言うために「子供のころは虫とか平気で触れたけど、大人になってからは気持ち悪くて触れない」という現象についての考察を述べますね。

私らって子供のころは虫とか触れたじゃないですか。あれって子供は社会を持たないからだと思うんですよね。社会を持たない子供としては何も考えず面白生物として虫を見たり触ったりしていたのに、年を経て社会に取り込まれてみると「虫キモイー!」「虫キモイー!」という人たちが周りに溢れてくるではありませんか。そんな社会の有り様を目の当たりにして子供は思うのです。そうか!虫はキモイのか!言われてみればそうだわ!キモイわ!「虫キモイー!」

 

べつにこれは一例に過ぎなくて、他にもいろいろある。むしろ「自分自身の価値観」よりも「世間の価値観」で判断している割合の方が多いんじゃないかと思ってる。

何はともあれ、たぶん”切断”されると虫は触れるようになる。

”切断”によって社会と切れることで物事をニュートラルな視点で見た結果、木とか自然が素晴らしく見えたり、俗世間に失望したりする。たぶん。

 

そういう考え方って間違ってないとは思うし、その境地にいたることを素晴らしいと思う人もいるのだろうけれど、私としては「美しき緑の星」の住人は素直にキモイと思った。

エコブームってあったじゃないですか。

あれって、節電だ!とか、廃棄物が少ないやつだ、とか、クールビズだ!そのためにいろんなものを我慢しろ!エコ技術を磨け!とか言ってるけど、ゆうて廃棄物もCO2も出るし、化石燃料は減っていく一方じゃないですか。えー?ちゃんと地球にやさしい生活をしたいんだったらー、最終的にはみんなして原始人みたいな生活に戻るしかなくねー。

みたいなことを誰でも考えると思うんですけど、それを実践したのがおそらく「美しき緑の星」の人々なんです。

 

「そりゃあ、間違っちゃあいねぇが、どうなんだい?」って言われがちかと思うんですけど私別にいいと思うんですよ。

 

考え方はいいと思うんですけどねー。好きですよ極論。その極論を実践してくる行動力にも、結果的にうまくいってるってことにも(創作とはいえ)感服でございますよ。

 

それなのに何がキモイって、

「緑の星」の住人って、「自分たちは100%完全に正しい」と思っているところなんです。

「緑の星」に比べて歴史が遅れている地球は、自分たちの星とおなじ歴史をたどるべきでありそれしか幸福に至る道はないと、心の底から思っているのが(映画なので演技ですが)ありありと伝わってくるのです。

キモイですねー。多様性を認めないってやつですねー。

キンザザでいう所のアルファ星の住人はきっとこんな感じな気がするわー。

それか、テレビで裸族のウルルンをやってるのを見て「服を着ないなんてかわいそう!」とか言い出す類のエゴ、あるいはプッチ神父の天国。って感じかしら。

(別に製作者がキモイってことはなくて、元々この映画って製作者の意図としても「頭のおかしいキモ宇宙人による地球大冒険」みたいな趣旨で作られてる気もするんだけれど誤解かしら)

 

おすすめのシーンは、”切断”オーケストラです。

あのシーンのなにが素晴らしいって、おそらく”切断”されてないソリストが、”切断”された団員に負けず劣らず、完璧に合わせているところです。何たるアンサンブル力(りょく)!マジ狂ってること甚だしいのだけれど、あれは、「音楽」ですよ。「真面目に」音楽をやっている人には是非見てほしいです。あー、あんなんやってみたいわー。

 

そんなこんなで、私としては大いなる目覚めに至ることは出来なかったけれど、「美しき緑の星」は今となっては(というか昔から?)珍しい、「世間の価値観」に媚びず!退かず!省みない!超弩級キモ映画として大いに楽しめました。こんなキモイ映画は「毒にも薬にもならない映画」の100倍見る価値があります。きっと、毒か薬になりますよ!

この世界に数多ある 不思議惑星キン・ザ・ザ

最近私ちょっと入力過多になっているようなところがありまして、自分の頭の中をあまりちゃんと整理できていないのですが、現状がなかなか特殊なので今の状態で記事を書いてみるというのも面白いかと思ってキーボードを叩き始めるのです。

 

内容としては一応「不思議惑星キン・ザ・ザ」の感想になります。

 

入力過多な現状というのは、

カバンの中に忍ばせたソローキンの「青い脂」をあいた時間に読みつつ、パソコンには途中まで再生された「不思議惑星キン・ザ・ザ」。この状態で大学オーケストラのOB、コントラバス奏者として演奏会に参加し、1晩打ち上げで飲み明かし、現役の子たちの演奏会苦労話を聞いて、すげぇ青春!とか思いながら電車でソローキンを読みながら帰宅。途中まで見た「キンザザ」を最後まで鑑賞。←今ココ

  

 

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「キンザザ」のあらすじ!

マシコフさんが買い物に出かけるとゲデバン君がやってきて「あそこに自分は宇宙人だっていう人がいる」などと申す。その人は靴下を履いておらず、哀れに思い話しかけると空間転移装置なるチャチな玩具を見せてやはり自分は宇宙人だという。あほかと思いつつ玩具に触れるとマシコフさんとゲデバン君は謎の砂漠にパッと移動させられてしまいます。クー!2人は訳の分からない世界から地球に帰還すべく奮闘するのでした。

あらすじ終わり!

 

20世紀の傑作映画の1つに数えられている(1部地域で)映画とは思えぬただならぬチープ感が何故か癖になる、よくわからないのだけれど一周回って結構楽しいような気もする、よくわからないけれど当時の社会情勢に対する鋭いかもしれない皮肉が込められていたような気もするけどよくわからない。

 

みたいな感じでよくわからないけれどたぶん結構楽しみました。本当に。

 

マシコフさんの慢心、ゲデバン君の無能、いろんな意味で汚い現地人、謎判定な人種差別に理不尽な権力者など、イライラ指数の高そうな題材を共産主義国一流のギャグセンスで笑い飛ばします。

 

機械が緑に光ったからお前はパッツ人、俺はオレンジだからチャトル人、ここではチャトル人の方が偉い。音楽は檻の中で奏でるもの。エツィロップには「クー!」をしろ。マッチはえらい高価なもんだ。

などの謎文化が滑稽です。最初は高慢な態度を崩さず絶対に「クー!」(頬パンパン、がに股)なんてやらなかったマシコフさんが、後半では条件反射的に「クー!」をやる屈しっぷりとか、意外と友情に熱い所とか素敵です。

 当時の社会情勢とか、国民性みたいなものに明るいと、いろんなバックグラウンドが想像されてまた違った見方もできるのだろうけれど、別にそうじゃなくても何となく楽しいからいいね。

 

宇宙的ロマン について

 

安っぽさや嘘くささが目立つ「キンザザ」なんですけれども、それでいて意外とSFの醍醐味でもある宇宙とか未来的ロマンを感じることができるから不思議です。

 

これ、なんでかなって考えたんですけど、

むしろ設定が謎過ぎて大体のことアウトオブ想定、一応SFらしいのだけれど「全くそれっぽくないから」なのではなかろうかと思ったのです。

だってたとえば宇宙人がいたとして、そいつらが地球人と同じような常識や文化を持って動いているわけはないし、その常識や文化が私のごとき一般市民の想像の範疇に収まるわけがないじゃないですか。(また、「それっぽい」と思える=想定の範囲内ともいえます)

 

だから他の星に行ってしまったという時点で、「訳が分からない」ことこそが「自然」になって、「それっぽくない」ことが逆に「それっぽい」と思えるのかなと。

 

あとですねー。この映画を見てると

キンザザ的不思議空間って意外と日常のいたるところにあるかもしれない

って思えてくるからこれはロマンですね。

 

冒頭の唐突過ぎるワープとかまさにそんな感じで、見た瞬間は「あほだー!」って爆笑するんだけれど、見終わるころには「もしかしたらキンザザへの入り口は自分のすぐ近くにもあるのかもしれない」なんてことを思ってるんです。(別に、ブリュク星には行きたくないけれど)

明日仕事に行きたくない人や、学校に行きたくないみんなにとってこれってなかなかの希望なんではないでしょうか。

しかしながら

これってきっと、なにも宇宙まで行かなくっていいし、超常的な力に頼る必要もなくて、ちょっと普段とは違った行動をしてみたら全く新しい世界が開けるなんてことはざらにある話だと思うのです。

例えば私などは大学でオーケストラを始めたときには新しい世界を開いた感覚があったんです。聞こえる音楽も部の風習も最初は何もかもが新鮮でなかなかなじめないことや戸惑うこともあったけれどなんだかんだ楽しかったような覚えがあります。

きっと大多数の人にとってはオーケストラなんてのは未知の世界であり、未知であるならばオーケストラの団員のあいさつは「クー!」である可能性を否定できるはずもなく、そうであるならば「キンザザ」もオーケストラも、知らない人にとっては似たようなものであるのではないでしょうか。

 

オーケストラに限らず「キンザザ」はどこにでもあると思うのです。

 

それは変な宗教かもしれないし変な部活かもしれないし、変な友人かもしれないし、変な本、変な音楽、変な映画、変な運動、なんでもです。

 

それらは端から見れば気持ちの悪いものかもしれませんがやってる側は結構楽しいものなのだと思います。

 

オーケストラなんかは割とハードル高めな感もあるのでもっと手軽なところから始めてみるのもいいんじゃないでしょうか。

 

そうですね例えば、

 

不思議惑星キン・ザ・ザ」を見るとか。

ゲロまみれの他人=自分からのメッセージ メメント

クリストファー・ノーラン!聞いたことある!と思って、

メメントを見ました!

でもよく考えたら聞いたことあったのはクリストファー・ノーランではなく、

エドワード・ノートンファイトクラブなどに出演)でした!どうでもいい勘違い!

 

 

メメント [DVD]

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あらすじ!

記憶が数分しかもたないよ!

あらすじ終わり!

 

メメントねー。メメントモリ、「死を想え」かなーと思ってよく調べたら、「メメント」はラテン語で「思い出せ」みたいに訳すことができるみたい。あー「memory」とかその辺の派生なのかしら。

この映画、ジョジョ6部、ミューミュー看守の話の元ネタらしくて、荒木先生は割とそのまんま拝借しているようだけれど意外と、どちらを先に見たから後に見た方を楽しめないー、みたいなのはなさそう。

あとは博士の愛した数式とかを思い出すのもしょうがないですよね。

 

この映画!構成が恐ろしく独特で実際何が起こってどうなったかっていうのがひどく分かりにくい(でもちゃんと何度も見て考えれば分かるはず)ことになっているんですよ!

例えばですねー。ちゃんと時系列順に物語が進む映画がですね、10個のチャプターに分かれてたとします。この映画の編集がトチ狂ってチャプター10、1、9、2、8、3、7、4、6、5という順番に並べ替えて上映したのがメメントです。混乱するでしょう。

結末、過去、結末のちょっと前、過去のちょっと後、とシーンが切り替わっていき、終盤では何となく見方が掴めてきますが、最初はそのルールも分かっていないため何が起こっているのか分かったもんじゃありませんよ。

 

物語を引っ張るのは主人公の体中に刻まれた記録、写真や写真に対するコメントですよね。「奴の嘘を信じるな」とか主人公がそれを書いたはずなのだけれど、どういう経緯で書いたのか本人も覚えていないのだからもう何を信じていいのやら。

 

そう、思うにこの主人公にとっては「過去の自分」と「未来の自分」が明確に「他人」なんですよね。

「記憶がなくなる」っていう現象に出くわすことはそんなにないんだけれどなくはなくて、要は酒を飲み過ぎたときとかね。

 

翌日になって聞かされる「お前、糞尿とゲロを垂れ流しながら地面に這いつくばって死ねぇ、死ねぇ、殺す、殺すぅ、って譫言のように繰り返してたよ」という現実。

記憶のない間に俺の体を動かしているお前は誰なんだ?って凄く不思議に思ったことがあります。甚だ迷惑な話ではあるのですが記憶がなくなったときって自分が周りに迷惑をかけた感覚が薄いんですよね。他人が何かやらかしたらしいって感覚で。

(とはいえめちゃくちゃ謝るんですけどね)

 

だから「過去の自分」と「未来の自分」を自分たらしめているものってきっと記憶なんですよね。メメントの「数分で記憶がなくなる状態」っていうのはきっと、他人から状況を受け渡されて他人に状況を渡す状態なんじゃないかしら。こわっ。

(そんな状態でよくこの主人公は自信満々で自分のメモを信じられるな、とは思ったけど、自分が脆弱だからこそ本当の他人よりは過去の自分を信じるのかなー)

 

もうちょっと条件を緩くして考えると過去と未来の自分が他人にしか思えない瞬間っていうのは普段の生活でも結構あると思います。

中二病ポエムを書いていた自分、とか、あまりに初歩的なミスを犯す自分、とか、後で見た時に詳細を思い出せる程度にメモしたはずなのに全く思い出せない、とか、好きだと思ってたものがよく考えるとそれほどでもないってことに気付いたりとか。

あとは、過去の自分の書いたブログの記事とかを読み返してみると普通に「ナニイッテンダコイツ」ってなる、っていうのもそうですね。

日々を適当に生き過ぎているからこんなことが起こるのかもしれないけれど結構気持ち悪い状態ですね。もう少しリニアに整合性のある生活ができないものでしょうか。無理ですか。そうですか。

 

えー。なんか自信がなくなってきたのでこの辺で終わりますか。

メメント」は自分の成り立ちの不確かさに言い知れぬ不安を覚えるいい映画でした!最後に自分への信頼度を試すクソみたいな問いかけでもして終わりましょう。

では。

 

記憶をなくした飲み会の翌日

「お前、糞尿とゲロを垂れ流しながら地面に這いつくばって死ねぇ、死ねぇ、殺す、殺すぅ、って譫言のように繰り返してたよ」

と語る友人と

「奴の嘘を信じるな」

といういつの間にか身体に刻まれた言葉

 

どちらを信じます?

大脱走 は気高く勇敢な齧歯類の戦い

戦争もののコーナーからなんか見ようと思いまして、「大脱走」を見ました。

戦争ものって、ブログをはじめてからも何回か見たことはあったんだけど、暗いやつが多くて、「やっぱり戦争は、やってはいけないと思った。」みたいな人道的な感想しか書けなそうだったから書かなかったんですよね。別につまらなかったわけではないんですけど。

 

「大脱走」はその辺のバランスが凄くいい感じで、面白い、かっこいい、悲しい、そうだったのか捕虜の世界史、と要はえらくいい映画だったので書くのです。

 

 

 

あらすじ!

時は第二次大戦の真っ只中、ところはドイツ、スタラグ・ルフト北捕虜収容所。集められたのは脱走界の精鋭たち。脱走人数250人にのぼるかつてない規模の脱走計画!いかにしてそれを遂行するのか?!果たして成功の芽はあるのか?!途方もない目標に挑んだ男たちの真実の物語!

あらすじ終わり!

 

 捕虜ってもっとこう、牙を抜かれた獣のように卑屈な様子でシベリアの木の本数を数える仕事をしながら時間と命をすり減らしていく生き物だと思ってたんだけれど、違うんだな。

映画に出てくる脱走のスペシャリストたちは殺されないのをいいことに傲岸不遜な態度を崩さず、脱走することに知恵と体力のすべてを傾ける歴戦の猛者であったのです!

 

牙を抜かれた獣なんかじゃない!例え戦う力を持たずとも勇敢で気高く、脱走のためならばどんな困難にも立ち向かう!彼らはそう、ハムスター!だったんだ!

 

割と真面目に言っています。

この映画がこんなにいい映画になったのって登場人物たちを単に、英雄ぅー、とか、戦士ぃー、とかそんなかっこいいものじゃなくて、ハムスターとして見ることができるっていうのが大きいと思うんですよ。

 

一応書きますけど脱走って凄く勇敢な行為なんですよ。例え収容所から脱走することができたって出た先は敵地の真ん中。祖国まで逃げ延びることなんてなかなかできるものじゃないんです。それでも脱走するっていうのは敵の兵力を少しでも自分に向かせるため=味方に向くはずの兵力を少しでも減らすため!なんです。うん!確かに崇高な行為だ!

 

でもやってることはハムスターにしか見えねぇ!っていうのが「大脱走」そこらの戦争映画とは一線を画する所以ですよ。

 

なんせ愉快なんです。

交響詩のようにシーンの雰囲気に合わせて変奏される「大脱走」のマーチをバックに、大の大人たちがチャチな小細工を弄して少しずつ穴を掘っていくんです。(チャチな小細工もバカにできない!)

 

「掘った土はどこに捨てようか?」

「ズボンの中の袋に入れておいて、裾から捨てて、すぐ足で慣らせばいいんだ!」

「「「すげぇ!」」」

 

みたいな小賢しいやつの積み重ねが未曾有の大脱走に繋がるんです。端から見てると「そんなんでバレないと思ってんの(笑)」(実際なかなかばれないのだけど)とか思っちゃうような小細工を大勢のおっさんたちが真面目にやってるんですよ。

なんだかすごく愛しいじゃありませんか。

すごくハムスターじゃありませんか。

まさか戦争映画でこんな気持ちになれるなんて。

 

その他にも、看守の目をかいくぐりながら脱走の準備をするのには、謎の後ろめたさや見つかったらどうしようっていうドキドキがあるし、捕虜がみんなで一致団結して1つのことを成し遂げようとする姿には「ウォーターボーイズ」式の青春ドラマを感じることができる(脱走が俺の生きがいだった、みたいなセリフもあります)。終盤では、かつてあんなにも愉快で勇敢だった奴らにも悲しい結末が待っている。

過酷な状況下にありながら不敵な笑みを浮かべ、例え武器を持たずとも祖国のために勇敢に戦う男たちの物語!

すげぇいい映画でした!

 

ハムスターに敬礼!

フランスの歴史は乙女フィルタを通して読む血の通った世界 ブルボンの封印

本を読み終わりました。「ブルボンの封印」という本です。

 

ブルボンの封印

ブルボンの封印

 

 

この本、藤本ひとみさんという日本人の方が書いた本でありながら、「フランスの歴史もの」というカテゴリに分類される奇特な本でありまして、奇特な物好きとしては放ってはおけないものがありました。

日本の歴史にも明るくないくせにフランスの歴史に手を出すというのもいいではありませんか。要は真新しいものにたくさん出会いたいのです。

 

あらすじ!

産まれてから間もなくしてその存在を隠匿された少年ジェームズと、肩に刻印を持つ拾われ子マリエール。成長した二人はやがて自分の出生を解き明かす旅に出る。この2人の秘密がフランス王国の行く末を左右するということを知っているのは、イタリア人の政治家と、その関係者だけである。

あらすじ終わり!

 

フランスは遠いですね!読み始めの方はフランスの地名や人名が全然わからなくて難儀しましたが、話がノッテくると気にせずすいすい読めました。(完全に理解できてるわけではないという!)

とはいえ、私は過去に佐藤賢一さん(別の奇特なフランス歴史もの作家)の「双頭の鷲」という本も読んだことがあるので、その時よりはとっかかりがあった気がします。扱っている年代がいまいちかぶらないので領土の大きさとかが違ってくるみたいですが、たまーに「その土地はベルトラン・デュ・ゲクランが奪い返したもんやでー」みたいなのが、繋がる瞬間があって、楽しかったです。他にも、オリヴァ・クロムウェル(名前しか出てこない)という名前にピンときたので調べたら、クロムウェル巡航戦車の名前はこの人からとってる(やっぱり!)、とか、いろいろ繋がってくるところがあって、歴史ものはいろいろ継続して読むと点での理解が線になり面になる嬉しさを感じるカテゴリなのかもしれないと思いました。あれだ。作品の枠を飛び越えた「世界系」みたいな!

FF7FF10の世界は繋がってて、幻光虫とライフストリームは同じものなんやで、っていうのを知った時の嬉しさって言ったら近いかしら。

 

本の話をしましょう。

 

この本の凄いところってね、政治と色恋が同列で並べられて語られるところだと思ってね。そこが重要なんだ?!みたいな部分が沢山あって文化の違いを感じさせてくれます。「次の王が産まれた!傀儡政治をするために恋に溺れさせて腑抜けにするのだ!」とか「この恋がうまくいけば自信がついて政治の方もうまくいくに違いない!」とか。日本だったら天皇陛下のあれこれなんかはニュースにはなるけどあまり話題にはならない(と思う)から感じないのだけれど、今なら、イギリス王室とかを見て(凄い賑わいです)考えたら、向こうでは自分が思っているよりそういうのが大事なんかなーと少し納得します。(とはいえフランス王国がなんか弱そうに思えてしまうのも事実)

 

そういう面があるからかこの本は全体的に見てえらい耽美的と言いますか、「貴族様が優雅な日々を過ごされている!素晴らしいわ!」みたいな恋する乙女フィルタのようなものが働いていて、ムカつく人はムカつくんじゃないかと思います。自分は「そういうのもあるのか。」と、それはそれで楽しんだ人です。フランスを舞台にしたらそういう書き方が合っている気もしますし。(そういう意味では佐藤賢一さんのは全然フランスっぽくはないな)

調べたところによると、この本を原作にして宝塚で演じてたっていうのでそれはぴったりではないか!と大いに納得したのです。さすがよく見つけるわぁ。

 

物語が進んでくるとこの話は「鉄仮面」の謎を元にしていることが分かってきます(自分は分からない単語を調べてて、鉄仮面に行き着きました)。F91は関係ありません。

鉄仮面というのは、フランスのバスティーユ監獄(サドも入れられた所や!)に実在した仮面で顔を覆った囚人のことで、その正体を知るものは皆口を閉ざし、囚人の身でありながら非常に丁重に扱われていたのだという。

 

「鉄仮面はどっちなのか」という疑問が物語を引っ張り、入念に描写された登場人物それぞれの思惑がラストのフーケの館という一点で交わり、弾け、砕けたり混ざったりして結末を迎えます。

 

ストーリーも良く、キャラ一人一人に愛着が持てるし(己の欲する者のためにその他の全てを捨ててどこまでも行ける子、マノンがいいです)、歴史も(少し)分かるし、異文化だしでいい読書でございました。

 

歴史ってなんというか「統計」みたいな血の通わないものに感じてしまいがちなのだけれど、物語をつけて語ってもらうと本当にそういう時代を生きた人がいたんだと認識が変わってきます。(フィクションだからそりゃあ事実とは違うのだけれども、そうである部分もあったかもしれない)

それって楽しいですよ!

家畜人ヤプーを出汁にブログタイトルを考えよう。

タイトルって大事だと思うのよね!

 

私のブログなんですけど、初期設定のままなんですよね。

「urutakonbe's diary」ね。

なんて覚えにくいタイトルなんでしょう!

「うるたこんべ」っていうのが既に適当に作った造語で、英単語ですらないからきっと検索かなんかでこのブログを踏んだ人なんかはきっと一度もこのタイトルを読むことすらなく去っていくに違いないのです。

そのくらいのことは結構前から思っていたのですが、そんなにホイホイ変えるものではないから長く付き合っていけるやつを暖めて出そうと思ってとっといたんですよ。

まぁ、結果的に全く考えなかったけどね!

 

そういうわけでここで考えつつ、記事も1個増えるっていうのをやってみようというわけです。(文字として出力したときにしっくりこないとダメだから、頭の中だけで考えててもアレかなとも思うしね)

 

コンセプト

  1. 管理人「うるたこんべ」の名は重要である。
  2. 名は体を表すべきである。
  3. すっと読める。
  4. 微妙に意味が分からないのがいい。
  5. 愛せる。

1個目は別にどうにでもなる。

2個目、このブログの記事も増えてきたので後出しじゃんけんの要領でどうにかなる。ただし分析は必要。

3個目はすっと読める。

4個目はセンスが問われるのだけれど、分かりそうでわからないーってくらいのタイトルが「気になる」タイトルだと思うので(自分は気になる)、他の要件を満たす範囲でいいのを考えたい。

5個目、愛せる。

 

3,4個目が微妙に相反する概念なので難しいのだけれど、どうにかしましょう。

 

考えよう

私はこういうのはとりあえず先人の知恵を参考にする派なので、そうしましょう。

なので、文学的に考えます。

本のタイトルやなんかはあらゆるタイプのタイトルがあるやつなので何か「意味が分からなくて気になる」やつを抽出してみましょう。

 

ドグラマグラ

全く訳が分からないが語感はいい。これを参考にするなら「ウルタコンベ」でいいじゃんってことになりますけどたぶん定着しにくい名前な気がする。

 

箱男

箱も男も分かるのに箱男になると途端に分からない。語感いい。

 

家畜人ヤプー

固有名詞(らしい)とその属性を示す冠詞がついていながらまるで意味が分からない。「家畜人」ってだけなら「箱男」と同じ、家畜も人も分かるのに…になる。不思議と語感はいい。

 

「ソドム百二十日」

「ソドムってラピュタが滅ぼしたアレでしょー?」って程度に分かるが、詳細を知っている人は稀。120日っていうのも「120日ね!」っていうのは分かるけど、何の数字か考えても答えがない(たぶん)。語感はあまりよくない気がするのだけれど、慣れると変拍子みたいで癖になる。

 

うぬぅ、「意味が分からなさ」にもいろいろあるようです。が、「うるたこんべ」を入れるって縛りを考慮すれば「家畜人ヤプー」式がハマりそうです。「なんちゃららん うるたこんべ」ですね。

 

「なんちゃららん」の部分には、コンセプトの2に則ってブログの属性みたいなのを入れましょう。

私のブログ

私のブログって何が書いてあるかって考えると、映画とか漫画、小説の感想、と見せかけてそれらをダシに使った、自分語り、みたいな感じかしらん。(映画とかを見て思ったことと、思い出したことを書いてるので)テーマ設定に映画とかを使ってる節がある。(勿論ちゃんと楽しんで見てますが)

あとは、カメラを買って写真を始めてみたこととか、新しい体験をしたら書きたいと思ってる。

つまり、私に何かを摂取させて、私の中を通って、咀嚼されたり、誤読されたり、混同されたものを出している=書いてることになります。

 

こうやって書くと、私のブログってうんこみたいですね。

 

あとは「うんこみたいですね」みたいな私生活ではあまり使えないような言い回しを進んで使っていきたいと思ってるので、そういう所も反映させたいです。

決めよう

家畜人ヤプー」式を考えるにあたり、「ヤプー」部分に当たることになる「うるたこんべ」の響きが重要になってくると思います。

ヤプー」って響きから内容を知らなくても何か下賤な生き物を想像できるように、「うるたこんべ」の響きから想像を膨らまします。

 

あれですね、墓場ですね。

完全にカタコンベに引っ張られてるけど。

「脳髄墓場うるたこんべ」

うん、ちょっと暗すぎるのでやめましょう。

 

あれですね、化学物質ですね。

化学物質なら訳の分からない文字列も何のその。ベリリウムパラジウムスカンジウムトリニトロトルエンジメチルエーテル。結構それっぽくなるんじゃないでしょうか。さっきコンセプトの2(名は体を表すべき)で、私のブログは私に何かを摂取させる&出すやつ、ということになったので食べ物に関係する感じにしましょう。

あれですね、食品添加物ですね。食紅青色1号アスパルテーム味の素。

甘いのがいいので甘味料にしましょう。

その昔調味料は非常に高価であり、例えば胡椒のために多くの血が流れたと聞きます。悪くないんじゃないでしょうか。

あとは「家畜人ヤプー」でいう所の「家畜」部分ですね。

そうですね「鉛」にしましょう。

鉛、最近触ったので。あと食べ物に盛るイメージがあるので。

「鉛甘味料うるたこんべ」

うん。訳が分からないけど中毒性もありそう。いいんじゃないでしょうか。

今調べたところによると、酢酸鉛(Ⅱ)ってやつが昔マジで甘味料に使われてて(頭おかしいよね)、多くの鉛中毒を引き起こしたんだそうな。ベートーベンもこれのせいで全聾になったんだと。へー。

甘美な毒ですねいいじゃないですか。

 

なんか深夜テンションで付けてしまって後々恥ずかしくなるタイトルな気もするけどそういうのもいいじゃない。 

なんか「俺センスある(笑)」な感じに受け取られそうな気もするけどブログ書いてるやつなんてみんなそうです。ありでしょうそれも。

 

決まりました!いえー!

そういうわけでこれで行きましょう。

 

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

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