鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

理性を剝いて感情を取り出そう ベティ・ブルー インテグラル

ベティ・ブルーって呼んでよねってどう呼ばれたいんだと思って見たのである。

 

あらすじ!

ゾルグとベティは毎日ゴロゴロしながら、一緒に暮らしていたのである。なんか人生いろいろと諦めまくりなゾルグ、凶悪なまでの身勝手さ自由さで周りのものを破壊しまくるベティ、激しく愛し合う二人の人生はそりゃあもう波乱に満ちているのだった。(主にベティのせいで)

あらすじ終わり!

 

なんかベティ・ブルーはオリジナル版とインテグラル版っていうのがあるらしくて、内容は基本同じなんだけど結構印象が変わるらしい。今回はインテグラルの方。

 

半裸(又は全裸)でゴロゴロするベティ!キレるベティ!喜ぶベティ!窓からものを投げ捨てるベティ!家を焼くベティ!ピアノを弾くベティ!誘拐するベティ!

あぁベティ!

ベティベティベティベティ!

ベティー!

 

という感じの映画でした!自分でもよくわからないのだけどそうなんだからしょうがない。(それだけにラストは、)

 

この映画についてこうやって感想とかをいろいろ書くのってなんか野暮って気がして、なんか思う所はいろいろあるのだけれどいまいち文章にならないのでちょっとフワッとして気持ち悪いです。別に書かなければいいのだけれどだって思う所はいろいろある映画なんですよ。

 

で、文章にならないっていうのはなぜなんだろうって考えたところ、この映画ってたぶん、「ひどく徹底的に感情的」な映画だったのかなと思って、文章にするっていうのはほとんどの人にとっては「理性的」な行為だから、感情的なものを理性的に表現するっていうギャップが難しいのかなって。

というか、あんなむき出しの感情をぶつけられて、それに対して「迫力の演技ー」とか「あそこの演出がー」とか書こうとしてる自分が後ろめたいんだなーと思って。

 

うん、だからだ。あーだこーだといろいろと理屈をこねくり回すよりも、上に書いた「ベティベティベティ!」って感想の方が意外と自分的にはしっくりくる。

 

こんなに感情的(に見える)な映画ってたぶん珍しくて、そのあたりがこの映画の「価値」みたいなところを支えているのかもしれない。

 

うん、この映画を見て思ったんだけれど、イマドキの文化って何もかもがゲーム化しちゃってて、全てが理性的に処理されちゃってるのかもしれないなって。(今に始まったことじゃないのかしら)例えば、恋愛に駆け引きが必要だったり、いい会社に入るためにはあーしてこーしてって手順を踏んで、とか。(まぁ、それでもうまくいかないわけだけれど)攻略本のようなものが存在していて、その通りに動けばだいたいうまくいくやり方が決まってるみたいな。映画で言えば、フラグを立てていけばその通りの結果がついてくる、みたいな。うん、たぶん攻略本に従うなら「ベティのようなキチガイは誰かが処理してくれるから自分は関わらないようにしよう」とかだな。

 

なんというか、そんなんじゃないだろ!人間ってのはもっとこうだろ!っていうのを見せてくれるのが「ベティ・ブルー」だったような気もしてきたよ!

だから、そんなんじゃない感情的な映画であるところの「ベティ・ブルー」は、そんなんじゃない「自分の中のベティ」を見つけ出すために一度見ておくといい、見るべき映画だと!思ったのでした!