鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

あの時代のお話ですよ! 四谷シモン「人形作家」

変なものを作っている人のことは知りたくなるのです。

今回は四谷シモン「人形作家」を読みましたよー。

 

人形作家 (講談社現代新書)

 

 

あらすじ!

今や人形作家としての地位を不動のものとした四谷シモン。いま語られる彼の半生。

あらすじ終わり!

 

 60年~70年代くらいの風景、つまり文化、芸術、運動とかっていうのは自分の関心を引く概念の一大勢力でございまして、まさにその年代を舞台に書かれたこの本は実に興味深い素敵な本でございました。

何でこのくらいの年代に引かれるかっていうのを自分なりに考えたんですけど、この年代の文化って意味が分からないんですよね。出自不明で行方不明。どこから来てどこへ行ったのか、今どこにいるのかすらいまいち分からない。(ネットで調べると細々と、しかし脈々と続けられてはいるようなのですが)

西洋の文化、芸術とかにはそんなこと思わないんですよね。っていうのは、それぞれの様式の中で作られてる気がするから。ゴシック様式ロココ調、ロマン派、新古典主義、それぞれの時代性とか宗教観なんかに根差したものが作られてたんだなー、ここが発達してこうなるわけねっていうのが、 わからないなりに分かった気にはなれるんです。シュルレアリズムなんかでさえ「夢の中の世界や、だって夢って素敵やん」と言われれば一応納得できる。

 

しかし、60~70年代の文化ってわからないんですよ。「アングラ芸術」とか「アングラ演劇」「アングラ映画」とかね。本来ジャンルで言えば「その他」に入るようなやつにしょうがないから「アングラ」ってつけた感がある。

無から湧いたかのようにただそこにある感じなんだけど、そんなはずはないと思うから、知りたいんです。そして私は本を読むのです。

 

本の話をしましょう。

 

「人形作家」という本では四谷シモンさんの半自伝みたいな本で幼少期から始まり今の(出版当時の)四谷シモンになるまでのノンフィクションな軌跡が語られます。壮絶だったり破天荒だったり破綻していたりするのだけれど、武勇伝のように誇張するわけでもなくあったことをあった分だけ語るような文章に四谷シモンさんの(今の)人となりを感じたりしました。

 

四谷シモンさんは才能に満ちた人であるように思います。(ここでの「才能」っていうのは、「謎の行動力」とかもですが「一般的でない家庭環境」とか「社会にあんまり迎合しないところ」とか「ただならぬ縁」とかも含みます)「才能」は憧れますけど「四谷シモンと同じ家庭環境」に生まれたかったかって言われると迷う所です。

 

で、やはり四谷シモンと言えども同時代の作家や偉大な先人の影響を受けたらしく。ハンス・ベルメールとかに衝撃を受けたって書いてあるんだけど、それでもシモンドールたちが確固たる四谷シモンの作品でしかないっていうのはその「才能」によるもので、要は「四谷シモン」は「四谷シモン」から始まってるんだなーっていうのが感じられる内容でした。例えば「ハンス・ベルメール」から始まったわけではないっていうこと。1から始めたか0から始めたかみたいな違い。

 

同時代の作家、芸術家、役者なんかがまた凄まじくて、だって状況劇場唐十郎四谷シモンがいて、横尾忠則がポスターを描き、天井桟敷には寺山修二がいて、土方巽暗黒舞踏渋沢龍彦サド裁判してるとか。正直ちょっと訳が分からない。え、魍魎が跋扈してるの?え、あの人たちって架空の伝説の魔人かなんかじゃなかったの?っていうメンバーがめちゃくちゃ出てくる。しかも人間として出てくる。すげぇ!私なんかはこれだけ検索ワードがあれば1年くらいはネットサーフィンできそうです。

 

これだけ訳分からない人たちが同時代にそろってるっていうのはやっぱり何らかのストリームがあったんだよなー、素敵だよなー、近づきたいなー。

このメンバーにあって今失われつつあるものって「反社会性」かもなーとかふと思ったのだけれどどうでしょう。

 

本の内容を思い出してみるとなんか基本的に行動様式の全てが道徳の教科書の逆をいく内容だったように思います。今と当時で、時代として「反社会性」を受け入れるかどうかっていう違いはあるのかもしれない。(当時も受け入れられはしなかっただろうけれど、執拗に排除されることはなかったんじゃないかしら。)だとしたら今後「あの時代」が復権するようなことはないのかしら。いやしかしあの人たちって当時は実権を握ってたのか?うーん。現状では分からないということにしておきましょう。

 

あと、四谷シモンさんに関しては、基本的には自分のために人形を作ってるっていうのを感じました。人のために作るにしても大切な特定の個人に対してであって、不特定多数に向けられたガンバレソングとかラブアンドピースなんかでは決してないって気がしました。(最近は「自分のための行動」って悪とみなされる傾向がある気がするから、これも道徳には反するのかも。そんなはずないのにねー。)

 

少なくとも不特定多数に向けたガンバレソングやラブアンドピースなんかよりも。四谷シモンさんの人形の方が素敵に感じる私としては、「人形作家」を道徳の教科書に採用したら世の中面白くなるのになーとか思ったのでした。(早死にする人が増えそうですが)あ、いや、寺山修司の本とかの方が道徳的には効果的かもなー。じゃあ「人形作家」は小学校の図書館に置こう。

 

世界がもっともっと素敵になりますように(私にとって)。

 

 

BGM ニーナ・シモン Ain't Got No, I Got Life

(四谷シモンの名前の元ネタはこの人なんだとか)


Ain't Got No, I Got Life - Nina Simone