鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

外人が作った映画 陰獣 injuから自分の読書を考える。

レンタル屋さんに江戸川乱歩の陰獣をフランス人が映画化したやつがありまして。

そういう触れ込みをされたら私のような人間は物珍しさに思わず手に取り、

エロいシーンもあることを確認しつつ、

レジに持っていくのです。

 

見た結果

内容としては、ちょっとなー、そうかー、まぁ外人だしなーというレベルでした。

自分は結構やさしいので厳しい人は怒るかもしれません。

ちなみに原作は未読なくせにこんなこと言ってます。一応江戸川乱歩は「芋虫」が入った短編集だけ既読なので何となく感じはわかります。だから江戸川乱歩への信頼だけで言ってしまうのだけれど、「そのストーリーなら江戸川乱歩の魅せ方はそういう風じゃない」と思いました。原作は未読です。なんというか「推理小説的」な描かれ方をしていて、それは別に正しいのだけれど、怪奇性に欠ける気がしました。江戸川乱歩ならむしろ怪奇性こそ見どころなんじゃないかと思ってしまいました。映像化の魅力の1つとして、原作を読んだだけでは脳内で描くことができなかった像を補完してくれるようなところがあると思うのだけど、この映画の場合たぶん原作で描ける像の方が鮮やかだと思う。それかむしろ描けないからこそ不気味さが出る気がする、原作は未読です。

 

でも、映画を見た後はそれなりに思うところがあって、

それっていうのは「あのシーンがどうだった」とか「原作とこう違う」とかではなく、翻訳という作業の難しさみたいなものです。

外人の監督は江戸川乱歩の原作を翻訳で読んだのか原文で読んだのかわからないけど(映画を撮るレベルだったら原文で読んでてほしい)ちゃんとニュアンスまで理解できていたのか?日本人が江戸川乱歩を読むように読めたのか?っていうのを考えてしまいます。これは正直、無理だろうな、という気がしてしまいます。

自分が「芋虫」を読んだときは「江戸川乱歩って”怪しい”っていうより”妖しい”って感じだよね」みたいな微妙にうっとおしい人みたいな感想を持ったんですけど、外人に”怪しい”と”妖しい”を説明できるか?ってところです。この映画を見て、京極夏彦様が「妖怪を外人に説明しようと思ったら本1冊かかる」的なニュアンスのことを言っていたのを思い出しました(本1冊だったかはうろ覚えですが、まぁ、すっげぇ大変みたいたいです)。じゃあそう言った資料をどれだけ読み込めば、日本で何年暮らせば、江戸川乱歩を日本人が読むように読めるのかってことになってしまうわけで、そんなんだったら日本人がやればいいやんって話になってしまうわけです。

まぁ、作りたかったんだよね。それは普通に嬉しいです。でも、時代設定を現代にしてしまった時点で怪奇は死んだも同然なんじゃないかな。

 

同じように、自分は翻訳の海外小説とかを読むのでそっちの方もちゃんと理解できているのか心配になった。日本語⇒外国語の変換は特に難しい仕事ではありそうだけど、外国語⇒日本語でも細かいニュアンスまで伝わるようにはできてないんだろうな、と思って悲しくなった。たぶん原文で読むともっと伝わらないんじゃないかと思った(怪しい、妖しい、みたいなのが説明なしで出てくる)。宗教的な考え方とか日本人にはそうそう理解できんよね。京極夏彦様の妖怪シリーズとかをちゃんと読み込んだら宗教的な考え方の理解には結構役立つかなぁ。きついなぁ。これから読む本には優秀な翻訳者が付いてくれることを願うよね。

 

まとめ!

陰獣としてはいまいちかもしれませんが(原作は未読です)そのほかの部分で自分は見た価値があった気がします。うん、外人は日本文学をどう読むのか、みたいなことが垣間見える映画というのは意外と貴重かもしれれません。(外人の読書感想文とか読んでみたい!)外人の鏡に自分を映すことによって今後の本の読み方なども変わってくるかもしれません。ニュアンスをしっかり理解するため知識に貪欲になるかもしれません。

 

変なおすすめです!