カメラを持ってうろうろしてたら吉岡鶴子さんのハト胸にお世話になった話
ちょっと前に買ったカメラの野外デビューをしてきました。
本当は桜を撮りに行きたかったんだけど散っとったので(桜散るよ!)、ひとまずチャリでその辺をうろつきながら気になったものを撮ってみるパターンです。
まずは景色です。桜は散ったけど散ったなりの楽しみ方を見出す物語。
見事な花弁の絨毯。レッドカーペットならぬピンクカーペットではありますが、民家や車が写っており生活感が出てしまっていていけないのと、ちょっとネットにアップするのが心苦しい感じになる一枚。合成かなんかで消せないものか。
桜は川沿いに植えられていることが多いものでございまして、然らば自ずと水面に落ちるものもあるということでございます。この花弁たちはどこまで流れていくのでしょうか。あるいは割と近くで沈んで腐って溜まるのでしょうか。
川にはカモもいました。水面が綺麗です。一番前のカモが隊長機らしく他とは違った色をしていますがよく見るとえらいつぶらな瞳をしています。
次は街角で撮った写真たちです。
やたら止まらせたがる通りです。この写真を見ていると世界は実はループしていてどこまで行ってもどこにも行けないクソ虫の海なのではないか、とか、自由な人生を謳歌しようとする人々に対して働く抑止力のようなものを感じませんか?私は感じません。
なんか送電関係?のなんかです。何か訳はあるのだろうけれど、無学な私などには訳の分からない形状をしたものが所狭しと並べられている光景にはある種の恐怖を覚えます。また、全てが同じ形状であるということには現代社会に都合のいい型にはまった人材を育成する無個性教育への風刺が感じられます。うむ、みな柵に閉じ込められて文句も言わず、善良そうな顔をして立っている。
博士の異常な愛情の冒頭に出てきたやつっぽいのが元気に回っておりました。結局何に使うやつなんでしょうか?電波関係のなんかでしょうか?風力発電?ではないですよね?
あとは鳩です。
十三羽の鳩です。きっと高みから人の値踏みをしたり、暇つぶしにフンでもくらわせてやろうと画策しているのでしょう。
ビッチ鳩です。桜が撮れなくて正直ちょっとへこんでいた私を慰めるかのように現れて凄い枚数の写真を撮らせてくれました。きっと誰にでも股を開くタイプのメスなのでしょう。
玉虫色のうなじを見せつけて誘っているのでしょうか。このビッチが!!
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せっかくなので命名しましょう。田中偉一郎様に倣って。
鶴子はビッチのくせにたまに哲学者のような一面(横顔)を見せます。
ビッチ呼ばわりし過ぎたせいか鶴子は最後にちょっと怖い顔をして去っていきました。
今回の写真は以上になります。
えー、今回カメラを持ってうろうろしてみて感じたことは、
意外と面白い(かもしれない)ものってそこらじゅうにあるなーってこと。いつも通っているような道でも上を見上げてみたり、逆に見下ろしてみたり、しゃがんだり背伸びしてみるってだけで今までスルーしていた面白いものが見えてくるってことが本当にあるようです。
あと、見たものを写真=作品っていう形にして残し、それを公開するってことをやると、ただ適当に取っただけの写真に「意味」を付けたくなるってこと。一旦停止の標識が3つ続いたからって本来は「偶然だねー」で済む話でございます。
最後に、被写体がいるとテンションが上がるってこと。景色とかの写真って悪いとは思わないんだけど自分でも何がしたいのかわからなくなるようなところがあっていけない。今回は、吉岡鶴子さんにハト胸を借りる形になりました。
鶴子さん、ありがとうございました!