鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

フランケンシュタインはクリエイティブの種だったかもしれない。

根源に迫る読書をしようっていうのが自分の中でありまして、今回メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」(森下弓子訳)を読んだ次第であります。なんかこの本、調べてみると「映画のイメージが強くて原作はあまり読まれてないー」って書かれてるのをよく見たんだけど、今どきはたぶん映画も見られてない気がする。もはやヴィジュアルのイメージだけの存在になってしまってそれ以上のことは何もわからないくらいになってると思ったので、ちゃんと確認しようと思って読みました。

 

あらすじ!

天賦の才に恵まれた科学者、ヴィクター・フランケンシュタインは遂に生命の神秘を解き明かしたのである!これに狂喜し、さっそく作った生き物は見るもおぞましい怪物であった!こんなはずじゃなかったと絶望フランケン!怪物を見離してしまいます。怪物は怪物で生み出しといてそりゃねぇぜと怒りを燃やします!フランケンシュタインと怪物の愛と絶望の復讐劇が今始まる!

あらすじ終わり!

 

楽しげなあらすじを書いといてなんだけど、この本は本当に悲痛で救われない&報われないザ・悲劇です。本のほとんどが絶望的な内面描写で埋め尽くされているので(ちょっとしつこいながらも描き方がうまいです)同情したり、一緒に絶望したりと感情を揺さぶられること請け合いです。

 

この1冊で「愛」「栄光」「憎悪」「マッドサイエンティスト」「怪物」「生命の誕生」「理由なき迫害」「真理の探究者、又は科学の悲劇」などなど物語のおいしい所がこれでもかと詰め込まれているのでヴォリューム満点の特濃怪奇譚でありました。これらの要素は現在の物語でも使われていることが多く(ここまで詰め込んだものはそうない気がするが)、「SFや怪物物語の元祖ー」とか言われるのも分かる気がします。

フランケンシュタイン」を元にして作品をつくりたい、と思わせる「何か」っていうのは思うに、「テーマが(当時としては)斬新かつ普遍性に満ちたものであった」ってだけじゃなくて、どこかの選択肢を一寸だけ変えればそれで新しい物語として成立してしまう、ifの物語がいくらでも考えられるっていうのもある気がした。(同人みたいに)例えば、フランケンシュタインと怪物の物語に救いがなさ過ぎてどうにか救ってやりたい、とか、怪物を使って世界征服しようぜ、とか、フランケンシュタインと怪物は二重人格の同一人物だったのだ!とかまで読みながらめっちゃ思うもの。

 

こういう救いのない物語って普段読むと「どうすりゃよかったんだよ…」って考えちゃうんだけど、「フランケンシュタイン」の場合は、その回答が既に本当に無数に生み出されているから、あんまり思わなかった。

 

怪物がかわいそうでねぇ。今、よく見る「ハハハ、お前は最高の化物だよ!」物語での化物は、ゆうて望まれて生まれてきて、おぞましい見た目のまま受け入れられる(主人は死ぬ)ことが多いと思うのだけど。「フランケンシュタイン」の怪物は生命を与えられた瞬間から疎まれるんです。自分が一生懸命作ったものそんな風に言ったらアカン、というかそんな風に思えるものかなぁという感じなんだけど、そうなんです。

身近な感覚で近いと思うのは

「深夜に酒を飲みながらノリノリで書いたポエムを次の日の朝に読み直した、焼いた。」

って感覚の一番酷い奴かなぁって。

他にも善良極まりない人たちにまで、見た瞬間から嫌われるから(これも例えば、私たちはゴキブリが無条件で嫌いだって感覚とかなら近いのかしら)、そんで力があったらそりゃあ凶行に走るさ。

それでも終盤だけはなんか、世界から切り離された者同士、フランケンシュタインと怪物の間に奇妙としか言いようのない絆のようなものが芽生えていてちょっと嬉しかったりして。(この辺りは今でもなかなかに斬新です。)

 

数多ある主題のひとつに「生まれた町こそ全世界だと信じ込んでいる男のほうが、おのれの本性が許す以上のものになろうと憧れる男よりどんなに幸せか」っていうのがあって。(この発言をしたフランケンシュタインは終盤で全く逆のことを言ったりするのだけれど。葛藤だわね。)あーわかる葛藤までわかる。

自分もフランケンシュタインとか変な本の話ができる相手がいなくてこういう文章書き始めたところがあって、例えば変な本のことなんて全く知らず「ア○雪最高ー」とか言ってられたらどんなに良かったかとかも思わなくもなく。だからといって変な本に少しは通じてきた今、「ア○雪最高ー」とか言えるわけもなく(見たらそれなりに楽しむだろうとは思いますが)。んで変な本の道を進めば進むほどその傾向が増していくからあれよね。

変な本の道は楽しいからいろんな人に知ってほしい。自分が変われないからむしろ周りを変える努力をしよう、変な本の魅力をもっとちゃんと伝えられるようになって「ア○雪最高ー」の人が住みにくい世界になったらいいなと今思いました。(ドグラマグラチャカポコー!)何の話だったか。

 

こう考えるとフランケンシュタインは今でも通じるいろんな寓話としても読めるようです。クリエイティブの種としてまだまだ広げようのある題材かもしれん。読むべき。