だまし絵Ⅱ で揺らぐ現実
名古屋市美術館でやってる「だまし絵Ⅱ」行ってきた。
たまたまそのあたりに用があったのでついでに行ってきただけなので、下調べとかしてなかったのでどうかと思ったけど、かなり楽しめた。
事前知識としては「だまし絵?あぁ、エッシャーとかでしょ?面白いよね。」ってくらいです。歴史的な変遷とか作られた背景とか理解してるともっと楽しめるのかもしれないけど、今回はそこは想像に任せました。
今回はだまし絵、というカテゴリの中で更にいくつかのジャンルに分けて、5つくらいのブロックでそれぞれ紹介していく、という構成でした。
古典から現代アートまで年代は広く展示してあって、美術において「だまし絵」という概念がどう変化していったのか、何を思ってそれをつくったのか、想像しやすい構成だったと思います。ジャンルごとにある程度共通する”理念”のようなものが感じられました。(結果的な受け取り方は人それぞれだと思いますが)
自分の偏見として、だまし絵ってただの技術狂のジャンルだと思ってたところがあって、あたかも物がそこにあるかのようなリアルな絵、とか、斜めに見たら正しい絵が浮かび上がるものなどはどちらかといえば数学的で、確かにそうなんだけど、でっていう、っていう偏見。
実際見てみて思ったのは、むしろそういう偏見に対する問題提起みたいな側面がある気がした。人間の感覚のなんといい加減なことか。こんなにも簡単にちょろまかすことのできる視覚やなんぞに頼って見たお前のその現実は本当に現実なのか。そう問いかけられるような展示の数々に心が揺らぐ揺らぐ。その手のやつでとくに衝撃的だったのはパトリック・ヒューズの「広重とヒューズ」ですね。
ネットで画像を見ても何も意味がない典型みたいなやつだけど、実物はマジやばいというやつですよ。なんかもう、脳が自分から騙されようとして、いらんところを勝手に補完しようとしてくる感覚が味わえます。しかも抗えない。分からないものを自分の分かるものに貶めて安心しようとする反応って、そんなレベルから存在するんだと、やはり現実が揺らぎます。
見る者をそういう感覚に陥らせるのがたぶんこういうものばかり創ってる人たちの狙いで、その人たちっていうのはたぶん虚構の世界が好きすぎて、詐術によって虚構を現実まで押し上げようとしたというか、現実を虚構まで貶めようとしたんじゃないかと想像した。虚構だからこそありえたものが実際に現実に存在するのを目の当たりにしてしまうと、もうありえないことなんてないんじゃないかと意識が拡張していく感覚があった。それならむしろ、現実を虚構に押し上げるって感じか。うーん、わからん。
その手のものだと、エヴァン・ペニー「引き伸ばされた女」が凄かった。展覧会を巡っててこれが視界の端に入った時の衝撃!思わず目をそらしました。なんで馬鹿でかい女の人の顔が置いてあってしかも伸びてるの?!訳が分からないのに、見てるとわかりそうな気もしてくるから不思議です。これもネットで写真を見ても何の意味もないむしろ「現代美術ってわけのわからんクソだな」と偏見を持ってしまいそうな画像が出てくるから、是非生で見るべき。
だまし絵はその界隈に詳しくない人とか、綺麗な、美しい、価値があるらしい絵を見ても何も思わないことがある人(自分がそうだ)、でも必ず騙されるし、明確に凄いのが分かるから超おすすめ!
しかもこればっかりは生で見るのでないと何の意味もないから、まだ3月22日までやってるらしいし、行くべき!