鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

小さな恋のメロディからマルキ・ド・サドの美しさを思ふ

私今日ね 昔の映画を見たの 小さな恋のメロディよ ねぇ

小さな恋のメロディ見たー!良かったー!

最近は映画を見まくっているんだけど映画は初心者なので何から見ればいいかよくわからん→結局筋少から辿っていくスタイル!

 

基本的にはゲテモノキワモノ、マッドでサイコな世界に関しての造詣を深めていこうと思って映画を見てるようなところがあるので今回見た「小さな恋のメロディ」(超健康的!)は自分的には少し異色です。それでもいまだにこういう映画をちゃんといいと思えるっていうのは嬉しい誤算。

 

あらすじ!

青臭い少年少女の甘っちょろいボーイミーツガール!

あらすじ終わり!

 

それでありながら何故こんなにも美しいのか?!

この映画を表す言葉としては”美しい”が一番しっくりくる気がします。美しいシナリオって感じ。絵画が美しいとか言う感じとはちょっと違うんだけど(絵的にはもちろん綺麗よ)何かが美しいんだよなー。

 

分析していきます。

たぶんこの映画に出てくる子供の行動には(自分が見た限り)一切の嘘がないって所がそう感じさせるんだと思うんだけどどうか。反対に大人は欺瞞に満ちていて押しつけがましく、しかもそれを善意でやっている。これが何か恐ろしく汚いと感じるように描かれています。

この映画のテーマの一つとして子供と大人の精神的などうしようもないほどの隔たり、みたいなものはあると思うんだけど、なんでこんなに分かり合えないかねってずいぶんともどかしいのです。だっておっさんおばさんだって昔は子供だったはずなのに子供の気持ちなんて全く解ろうとしないんです。もはや違う生物なのです!(でもまぁ、こんなもんだと思うわ。)

(これ大人に感情移入して「こいつらろくな大人にならねぇよプンプン」みたいなレビューも読んでみたい。そういう人も絶対いると思うんだけど、その人は物凄い糞映画として見るのかしら)

そんで思うに、上記の理由で子供の行動は生物的に正しく、大人は人間的に正しいことをしているのかなーと。しかしこの映画に出てくる大人はもはや無生物(さっきは違う生物って書いたけど)ってぐらいに映るんだよ。たぶん「欲望よりも秩序を大事にしてる?」という質問への答えがここでの生物と無生物の分かれ目だ。うん。私は生物でありたい。好きなものは好き、やりたいことはやりたい、やりたくないことはやりたくないってのは生物として当然のことで、それをわからん理由で阻もうとする大人に抗う(というか表面だけ従うふりをしておいて本当の自分はしっかり取っておく、みたいな)子供の姿がひどく輝いて見えるのよね。

 

ここから話は私のテリトリーへ入っていくのだけれど、世界の名だたる狂人とか変態ってこの「小さな恋のメロディ」における子供たちの美しさを死ぬまで体現し続けた人たちなんじゃないかと思ってん。自分に正直で嘘がない、嘘がつけない奴らだったばかりにあんな風になってしまったんじゃなかろうかと。狂人、変態っていうのは自分が思ったのは例えばライヒとかマルキ・ド・サドとかバタイユとか、架空の人物だとハンバート・ハンバートとか。

小さな恋のメロディ」とこいつらは本来決してつながることのない異次元の存在だと思うのだけれど私を媒介にして邂逅してもらった。(最近、自分が本当にいいと思える創作物の共通点って何なんだろうと考えていたから、この映画でピンときちゃったので。そしてそのピンはただの勘違いである可能性もありますが)。

 「小さな恋のメロディ」はまだ何も成し遂げていない美しい志だけを提示して、美しいままで終わっている(それがいい)のに対して、狂人、変態は美しい志を成し遂げた(とりあえずある程度の形にした)結果が実際は醜悪極まりないものだっただけなのではないかと。私は志の方を見るよ!

そう考えたら筋少の歌に戻って

”あの二人が どこへ行ったか あなた分かる? きっと地獄なんだわ”

って歌詞の意味が理解できてしまうような気がする。

あの二人がどうなったかということに関して妄想を膨らませたとき、自分が思いつくのって3種類くらいしかなくて、

一番嫌なのは

「自分たちが間違っていたことに気づいて大人になってしまう」

次に嫌

「そのまま大人になることを拒否し続け、狂人、変態になってしまう」

嫌だけど美しい

「二人は狂人、変態になってしまう前に、美しいまま死ぬことを選ぶ」

 

下2つはきっと地獄よね。志の美しさを維持したまま、人間的にも正しい道を進むって選択肢を出してないのだけど、これはどうにも無理って気がしてしまうので。まだよく知らない人だけど、「愛の賛歌」のエディット・ピアフって人はもしかしたらその道を進んだ人だったかも。そして、それはそれで地獄だったかも。ピアフさんについてはもうちょっと調べよう。

 

小さな恋のメロディの映画を見た後に、筋少の歌を聞いたら、そのあとは上坂すみれさん(すみぺ)のパララックスビューという歌に繋がります。「たとえ行った先が地獄だったとしても、恋をしていればそこは2人の天国よ」みたいな歌です。この順番で続けて聞いたパララックスビューが(元々いいのだけれど)いい歌過ぎて、いい歌過ぎて!鳥肌立ちました。曲調の割に歌い方が激しくないのが最初聞いたときは「あれ?」と思ったけど映画見てからだとぴったし嵌ってる気がした。ちゃんと元ネタまで踏まえて聞くとここまで違うのか!と、かなりの衝撃体験でした。激しくおすすめ!

 

 

びっくりするくらい本当に読まない方がいい蛇足↓

 

 

 

 

小さな恋のメロディ」でダニエルの友達として出てくるオーンショー君がふとした瞬間に「時計じかけのオレンジ」のアレックスに似ている(と自分は思った)時があって、そう見えてしまうたびにメロディがダニエルの目の前でレイプされる展開を想像してしまい気が気ではなかった。自分以外にそう思った人はいないのかと思って

小さな恋のメロディ 時計じかけのオレンジ

で検索したら、坂上忍がブログで自分が影響を受けた映画としてこの2つを挙げてて、(似てるとかは関係なく)深いところでなにかしらの共通点があるのではないかといらぬ勘繰りをするのでした。