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鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

あなたとは分かり合えない 超人幻想 神化三十六年

戦後に思いを馳せる今日この頃。

かつて「戦争を知らない子供たち」だった若者たちも、もうジジイになり、闇市で残飯シチューを買い求めた人々も、もはや存在するのかさえ不確かです。

敢えて語られることの少ない戦後とは、一体どんな時期であったのか。

この本はそれを知る一助になるのでしょうか。

 

超人幻想 神化三六年 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

この本はですね、アニメ「コンクリートボルティオ」(とても面白い)の前日譚として書かれたモノでありまして、アニメの世界観を補強する意味でも、昭和(作中では神化)への造詣を深める意味でも、いい読書でございました。4月から2期も放送するし。

(戦後を知りたいと思ったときに、戦後を背景とした物語から入るのが私のアプローチなのです。なんというか、その方が、人間が動くので。)

 

あらすじ!

時は神化36年。戦後16年、GHQによる占領が終了して9年。テレビの黎明期であるこの時期、TTH(東京テレビ放送)の局員として働く木更賀津馬が巻き込まれる凄惨な事件とは!殺戮は回避できるのか!?そして、超人とはなんであるのか!?

脚本家、會川昇氏による昭和史への深い造詣と、往年のSF要素をふんだんに詰め込まれた特濃残飯スープ!

あらすじ終わり!

 

残飯スープと書きましたがこの本を貶める意図は全くありません。いろんな要素をこれでもかと詰め込みながらどれも中途半端にすることなく1つの世界観にまとめ上げる手腕には「なにこれすげぇ」と言わざるを得ません。しかし、ちゃんとまとまってるなら残飯スープじゃねぇじゃんとも思えてきたので、調和のとれた残飯スープと言い直しましょう。ええ、長靴いっぱい食べたいですね。

 

この本の世界観は実際にその時代を体験した人なんかだとなつかしさを感じながら読むことが出来るのかもしれませんが、平成生まれのゆとり世代である私からするとほとんどファンタジーのようでした。

路面電車が走る東京にもネオンは輝くけれど、そこに確かに敗戦の名残もあり、裏ではGHQなんかが怪しい動きをしているっていう、得も言われぬいかがわしさ。技術が発達してないが故のテレビのあわただしさとか、諦観しているようで全然そんなことなく熱い夢を胸に秘めている登場人物たちとかが凄くいい。生きてるって感じです。

手塚治虫が美少女になっていて、その才能に自分だけが気付いてあげられるなんて最高に燃える(萌える)シチュエーションじゃないですか。(厳密には自分だけが気付いてたわけではないけれど)その才能を世に知らしめたい願望と、自分だけのものにしたい欲がせめぎ合って心と体が分裂しそうです。

戦後という時期は、あんまり物がないし、支配された経験からくる卑屈さというか疑り深さみたいなものがあるんだけれど、ここからいろんな才能が開花させ文化や風俗を生み出していくのだという野心や希望みたいなものを感じます。(これは宝塚明美=手塚治虫だと知っているから思うだけなのかもしれないけれど。)

 

超人の話をしましょう。

本作では超人が出てくるのですが、タイトルの割に超人の登場シーンは少ないように思います。「超人」を描くというよりは「超人のいる社会」を描いた本であるような気がします。と言っても、超人は当たり前のようにその辺を歩いてるわけではなくて(いや、その可能性もあるんだけれども)、超人は確かに存在するということを誰もが知っているんだけれど実際に遭遇することは稀っていう存在のようです。そんじょそこらの芸能人よりはちょっと遠くて、ビルゲイツとかトマス・ピンチョンよりはだいぶ近い、美空ひばりよりもちょっと近い(当時の美空ひばりを知らんけど)ってくらいの印象。(コンレボではもっとうようよいるような印象だったけれど、時系列が違うからか)

かつて人々はテレビ放送された東京オリンピック(神化15年)で超人たちを目の当たりにし、なんやかんやで戦争を語りたがるタイプの老人たちは出兵先で見た超人たちを話のタネにするものだから、例え実際に見たことがなくても誰もがその存在を知っており、その英雄的なイメージは憧れの対象となったりする。一般人から見た超人とはそういう存在のようです。(ただし、時代の変遷とともにこの超人観も変わっていくものらしくこの価値観は神化36年のものです。なんてややこしいんだ。)

でも実際は超人は英雄ばかりって訳でもなく、暴走して味方を手にかけたりした者や、暴走しなくてもろくでもない者もいたわけで、「英雄的なイメージ」っていうのは「超人幻想」=「一般人が超人に見る幻想」であったのかもしれません。コンレボでは「超人の見る幻想≒正義」みたいな意味で認識していましたが、作中の未来の日本では超人自体が幻想(架空の存在)のようになってしまっているので「幻想としての超人」(超人など幻想に過ぎない)みたいな意味にもとれそうだし、「超人幻想」っていうタイトルにはいろいろと含みがありそうです。

 

で、少なくとも、それぞれの「超人幻想」は決して交わることはない、ということだけは確かであるように思います。

 

だとすれば、それぞれ決して折り合いのつかない幻想を抱えた物語は一体どのような展開を迎えるのでしょう。何らかの答えが提示されるのか。あるいはやっぱり折り合いはつかないのか。それってどっちにしてもちょっと悲しい!

物語がどう転んでいくのか全く想像のつかないコンレボ2期が超楽しみです!

 

結局のところ信じられるのは自分だけ!

 

BGM はっぴいえんど しんしんしん

(コンレボははっぴいえんどでおわるのかしら)


はっぴいえんど - しんしんしん (1970)