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鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

群衆を殺してやりたい 群衆リドル

久々に古野まほろ成分を摂取したく、「群衆リドル」なる本を手に取った次第です。

群衆リドル Yの悲劇’93

あらすじ!

フツーの元女子高生渡辺夕佳の元に突如届けられたなんかすげぇ館への招待状。せっかくなので恋人の同伴の元ご招待に与ることにしたものの、行ってみた先で出会ったのは同様に招待された如何わしい人々。橋は落ちるし、外は猛吹雪。こんな状況だから当然電話線だって切られるし、当たり前のように殺人だって起こるのであった。

あらすじ終わり!

 

正直なところ自分の思う所による「古野まほろ成分」がかなり薄めで、最初の期待に沿うものではなかったです。「天帝シリーズ」が好きで、その延長として本書にたどり着いたので。自分としてはもっと、無駄知識や作者の趣味僥倖を偏執的かつ衒学主義的にひけらかしたメガ盛り超絶技巧練習曲1番みたいなやつを渇望していたので「群衆リドル」はちょっと違ったのです。だって古野まほろ小説から無駄をそぎ落としたら普通のラノベになっちゃうじゃないですか!

読みやすいといえば、そうなのかもしれないのですが、私は読みやすさは求めてないので。「天帝シリーズ」が非常に曲者で賛否両論(否が多め)あるシリーズなので(各種レビューサイト参照)、「天帝みたいなのを!」という人には薄味に感じてしまうかもしれませんが、「初めての古野まほろ!」という人には楽しめるやつなのかもしれません。

(初心者も最初から天帝シリーズを読めばいいと思うけどね。で、半分くらいの人は壁に投げて壁に穴が空けばいい。)

 

「群衆リドル」の話をしましょう。遠回しなネタバレを含みます。

 

変な本を読んでる人はだいたいそう思ってるはずなんですけど、「群衆」ってやつは憎くてしょうがないクソの塊みたいな存在なんですよね。

「群衆」って要は個人の集合であるはずなのに各個人が望んでいるとは思えない方向に動き出したり、逆に全く動かなかったりと、意図が全く読めなくて正しいとも思えない決断を下し、かつその決断をものすごい力で固持する迷惑極まりない奴らなんです。

その理屈というのも「普通こうだから」「みんなそう言ってるから」など、およそ自由意志のある生物の発言とは思えないものだったり、意見を変えない理由も「多数決で勝ってるから」というだけだったりと下劣極まりないものばかりなんです。しかも、「群衆」は大きい流れに乗っかっただけであり、特定の個人がその中心にいたというのでなければ、間違いがあったところで責任がどこにもないという性質を持っています。

「論理も主義も主張もない癖に権力だけ持っている集団であり、自分たちの下した決断に対し責任は取らない」というのが私の中の「群衆」のイメージ。「変な本」を嗜み、普段から多数派には属さないような人たちには分かってもらえるのではないでしょうか。あるいはそうでもないのでしょうか。

 

本書は群衆に対しての復讐の物語です。

ただし、「本書の中の群衆」と上記の「私の中の群衆のイメージ」は被るところはあれど、結構異なるのであしからず。(そこら辺は私怨の問題です。)

 

しかし、群衆に対しての復讐がその群衆の中の5、6人を殺すだけっていうのは、それはなんて悲しい復讐なんでしょう。そんなもの群衆にとっては痛くも痒くもないじゃないですか。今回の犯人は夕佳の存在に救われてたかもしれないけれど、下手したら全人類に向いてもおかしくない憎しみをぶつける相手が、これだけで足りるはずはないんですよ。当事者であったはずの相手がもっとたくさんいるはずなのに、責任のある人間はいないも同然っていうのはなんてもどかしいんでしょう。一体この絶望はどうしたらいいのかわかりません。

 

自分はそんな群衆にならないように気を付けつつ、

どうにかして群衆を殺してやりたい。

 

巻頭歌「群衆」


Edith Piaf - La foule - YouTube