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鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

私は幸せかもしれない O嬢の物語

 マゾとは如何なるものかを世界に知らしめた一冊として有名な「O嬢の物語」を読みました。

偏見かもしれないけれど、特殊性愛とかに関して突き抜けたところまで踏み込んでる書物って作者がだいたいフランス人なイメージがある。「O嬢の物語」も然り。サド侯爵然り。貴族制度により働かなくても生きていける人たちが快楽の極みを求めた結果なのか(O嬢は貴族の時代の小説ではないけど)元々そういう土壌があるのか、遺伝的なあれなのかはわからないけれど、フランス人って偉大だわ。

 

O嬢の物語 (河出文庫)

あらすじ!

ある日恋人により謎の館に連れてこられた”O”はそこで腕輪や首輪により拘束され、鞭打たれ、不特定多数の男たちから凌辱される日々を送ることになる。しかし、彼女は本当に不幸だったのだろうか?

あらすじ終わり!

 

そういうことだったのか、マゾヒズム

自分はそっち側ではないようなので、共感は出来ないまでもわからんではないという感じでした。「家畜人ヤプー」よりもマゾヒズム研究には役立ちそうです。

 

つってここで「マゾっていうのは自分が恋人の所有物であることによって愛を感じるんやでー。」みたいなことを語ってもなんか本の内容ともずれる気がするし、感覚的なことだから説明的な文章では結局伝わらない気がするので、その辺は割愛します。

(自分がそっち側ではないようなのでちゃんと理解できているかどうかも怪しいところですし。)

物語に乗せることによって、感覚的なことが感覚的に伝わるっていうのが小説って形式のいいところだと思うので、マゾヒズムの神秘に近づきたい人は「O嬢の物語」を手に取ってみるのがいいと思います。

 

なのでここからは私の理解の及ぶ範囲で「奴隷状態における幸福」について書こうかと思います。この話はマゾヒズムからはちょっと離れてしまうんだけどご了承ください。っていうのもちょっと汎用的になりすぎて性的要素からはなれてしまう所があると思うので。

 

例えば、

真っ白い紙を渡されて「何かかけ。」と言われたときに、実際に何かを書き始めるのってえらい難しいと思うんですよ。鉛筆を使えばいいのか絵具を使えばいいのか絵を描けばいいのか字を書けばいいのか。絵だとすれば何を?字だとしても何を?難しい上に正解がない、雲に飛び乗ろうとするような、砂漠に一人取り残されたような不安感が自由にはあるんだと思います。

紙に書くのが今年の目標だとか、キリンの絵だったらこんな楽な話はありません。

なんでもできるはずなのに何もできないという漠然とした不安から救われるために人々は拘束されることを選ぶのだと思います。

拘束されるっていうのは、閉じ込められるとか、繋がれるとか、そんな大げさなものではなくて、休日に必死で予定を詰め込むとか誰か一人の伴侶になるとかそんなレベルの話です。勿論拘束されることを選ぶのも自由です。

 

毎日毎日「忙しい忙しい」と譫言のように連呼してる人っているじゃないですか。その実わざわざ用事だのなんだのを詰め込んで忙しくしてんのは全部自分だったりして。好きでやってんだったら文句垂れてんじゃねぇよ。しねよ。

っていうふうに思ったことって当事者以外の誰にでもあると思うんですけど、あれも「奴隷状態の幸福」の一種だったのかなって今になって思います。

あの人たちは自由になるのが嫌で嫌でしょうがなくて来る日も来る日も自分に自由など与えぬようギチギチと予定を詰め続け、自分を縛り付けることによって快感を感じていた変態さんの鏡だったのだなぁと。

 

とはいえですね。あの人たちって「奴隷状態の幸福」を享受していながらきっと幸せではないんですよ。周りから見れば明らかに好きでやってるのがまるわかりなのに本人たちは割と真面目に苦しんでたりするのが脳髄のマジック、人体の摩訶不思議。

 

あれって本当の自分の感性が分かってないから起こる悲喜劇だと思うんです。要はですね、まさか自分が変態さんの鏡だなんて全く思ってないから自分は不幸だと勘違いをしているんですね。確かに、「あなたは先天性の奴隷ですよ」と言われてそれをすっと認めることができる人などいましょうか?

 

常識に照らして考えるに、「自由とは素晴らしいもの」であり「隷属されることは辛く悲しいこと」であるのですから。自由など全く手にしていない自分はかわいそうでみじめな生き物でしかなく、幸福など一切感じることはないのでございます。

 

っていう勘違いをしているんですね。そんなわけないのに。常識は自分のために作られたものではないのですから完全に自分に当てはまるわけがない。

常識から解き放たれー!自分の感性に正直に向かい合ったときー!何一つ自由のないあなたはー!真に!幸福であるのかもしれない!

 

その可能性を見出すことができる一冊こそが!「O嬢の物語」であるのです。

 

この物語の中では「私はあなたのものだわ」「君は僕のものである前にステファン卿のものだ」「あなたは誰のものなの」といった狂気の日常が描かれますが、日常化した狂気は最早狂気ではなく、あたりまえのこととして脳に刷り込まれます。その結果、苦痛の中に快楽を見出すという狂気を常識のレベルにまで貶めることができるのです。

 

常識に則ってしかものを考えることのできない不幸な喜劇人たちにとってこれほどの救済がありましょうか?彼らは隷属されることがどれだけ幸福であるか=自分はどれだけ幸福であるかを「O嬢」から学ぶことができるでしょう。フランス人って偉大だわ。

 

ではでは、ここらで終わろうと思います。

お幸せに!