読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

一人で強くなるということ バケモノの子

映画

普段あんまり流行りものみたいな映画を映画館で見ることはないのだけれど、誘われたんで公開初日に見に行ってきました。こんなの初めて。

以下の文章は一応、ネタバレ、批判、独自の解釈注意です。

 


「バケモノの子」予告 - YouTube

あらすじ!

なんやかんやあってバケモノの世界に迷い込み、バケモノの世界で”九太”と名付けられた少年は師匠?熊徹をはじめとする様々な人(バケモノ)と出会い、関わり合いながら成長したり葛藤したりするのでありました。そして九太の成長は九太だけのものってわけでもないのでした。

あらすじ終わり!

 

んー。

千と千尋~」的、不思議世界奮闘物語かと思ったら、子供と親(師匠)の成長を見守るハートウォーミングストーリーになり、「おおかみこども~」の序盤に見たような恋の予感を感じさせつつ、熱い戦いを繰り広げた上で、「おおかみこども~」の終盤で見たような葛藤を描いた映画!

という感じでした。

 

場面毎で急に物語の方向性がガラッと変わる所が幾つもあって、「あれ、そういう話だっけ?」みたいな疑問を随所で抱かせつつなんやかんや最後はうまく纏まってました。

とはいえ、どっかで見たような絵面が多くて「これはここから引っ張ってきたのかなー?でもあっちの方が出来がいいよなー。」みたいなことを考えてしまってあんまり物語に入れなかったです。

例えば、九太の名前を付けるまでのシーンは割と明確に「千と千尋」を意識してると思うんだけれど、両親が豚にされて意味不明な神々が跋扈する「千と千尋」の異世界に比べて、「バケモノの子」の異世界ではすぐにやさしい坊主と出会えて割と誰でも想像するようなバケモノが蔓延るなど、要は最初から優しすぎるんじゃないかと。

あと、猪王山と熊徹、九太と一郎彦、みたいな対比の構図がえらいあからさま過ぎて「教科書通りにやりました」感が拭い去れなかったりと、製作者の「お前らこういうので感動するんだろ」的思惑がチラついてしまってもうちょっと乗り切れなかったです。(被害妄想かもしれませんが)

 

文句を言いつつもこの映画で考えてみたいテーマの一つや二つはあるものです。

メルヴィル「白鯨」と「バケモノの子」

一人で強くなった熊徹

 

がそれです。(父性とかは好みじゃないし、アイデンティティの危機の話は「おおかみこども」で見たしなぁ。)

とはいえ、メルヴィルの「白鯨」は読んだことないし、手元にないし、映画見て初めて知ったし、なので追い追い読む機会があった時に「バケモノの子」と絡めて語るか絡めるほどのこともないか判断するとします。

 

なので、

「一人で強くなった熊徹」

についてちょっと書きたいと思います。

(ただしほとんど私の妄想ですが。)

「一人で強くなった熊徹」というテーマは「何故、熊徹は宗師になりたいのか?」っていう所に大きくかかわってきます(自分的に)。たしかそのあたりの事情については物語中では語られてなかったと思うのだけど、だって宗師って「バケモノの国の長」みたいな存在じゃないですか。弟子一人を育てるのもめんどくさがっていた熊徹がそんなめんどくさそうなものになろうとしているっていうのは結構な不思議ポイントだと思うんです。

 

次期宗師の候補は2人。

片や猪王山。

誰よりも強く、公明正大、時に優しく時に厳しく、弟子に対して分かりやすく丁寧な指導を行う。ルックスもイケメンだ。

に対して、熊徹。

確かに強いが乱暴で自堕落、弟子への指導は意味不明で適当、いい年してバイトで食いつないでる。ルックスも頭悪そうだ。

 

熊徹って、一般的にいう所の「いいところ」がないんですよね。いいところがないから一般バケモノたちも基本的に猪王山が宗師になることを望んでいるみたいだし、私も別に熊徹は宗師にならんでもいいんじゃないかと思う。

頑張って宗師になったところで他人はおろか自分さえもあんまり幸せになれないことくらい熊徹でもわからんはずはないんです。わかっていながらも熊徹には猪王山を打倒して宗師にならなければならない”必然”があったはずなんです。

 

熊徹って、実は結構真面目な奴だと思うの。

何も考えてないのにたまたま強く産まれてしまったチンピラでは決してない(それが分かるシーンもあったね)。

熊徹には熊徹のメソッドがあって(というかメソッドから自分で作り上げて)、ちゃんとうまくいくやり方を研究して、考え抜いた結果として強くなったんだと思うんです。生活がどんなにだらしなくてもトレーニングだけは決して欠かさないしね。

これに対して、猪王山の強さは(たぶん)良き師匠に恵まれ、メソッドに従い技を引き継ぎ、それを磨いて得たものだと思う。

猪王山も真面目に努力して強くなったことは確かなのだけれど、熊徹も同等かそれ以上の努力をして強くなったはずなんです。

 

道は違えど同じように努力して強くなった二人なのに、猪王山は全てのバケモノから称賛され、尊敬されている。熊徹はほとんど誰からも相手にされず、称賛されることなどない。

 

そんなの許せるか?

否(ニェット)!

絶対に許すわけがない!

 

そこで熊徹は考える!

誰も文句を言うことのできない絶対的な栄光を勝ち取り、世界を振り向かせるために!一体どうすればいいのか?!

渋天街を二分するほどの力をたった一人で手に入れてしまって尚、誰からも相手にされない熊徹に!残された方法はもう一つしかないじゃないか!

そう!

最後に残されたたった一つの方法こそが、猪王山を打倒し!宗師の座に就くこと!なのである!

 

 

ということを考えたのですが、どうでしょうか。(けっこうズレた見方をしてしまっている自覚はあります。)

正直「バケモノの子」という映画を1回見ただけで書いているので、本編中に上に書いたことを全否定する描写がある可能性もありますが、妄想は自由だと思うので。

上に書いたような話を好むような人だから「バケモノの子」という映画にあまりハマれなかったんだなぁと、思いました。