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鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

吉原炎上は世界の終りだったかもしれない

いつ、どこで、知ったのか、まるで覚えちゃいないけれど、なぜか知っている、吉原は炎上するものである。

一体吉原に何があったのか。私は確かめねばならぬ。

という謎の使命感でレンタルして見ました。

 

あらすじ!

800円の借金のかたに生娘、久乃が連れてこられたのは花の吉原、吉原遊郭。殿方、女郎たちとくんずほぐれつしながら強かに生きていくのであった。

あらすじ終わり!

 

これは久々に本当に凄い映画だった!

一言で表すなら、そう!発狂おっぱい!

っていうとクソ映画っぽくなっちゃうけど決して、そうではないのである。

一体どれだけの人が発狂したおっぱいを見たことがあるだろうか?

あるいは、本当の発狂おっぱいを知った気になってはいないだろうか?

 自分は発狂おっぱいを知っていると豪語する方も、自分は知らないかもしれないと自信なさげな方にも、是非見ていただきたい映画。それが吉原炎上でごさいます。

 

はい、おっぱいについてはこれぐらいにしておきます。時代は平成。ちょーっと検索するだけで古今東西、四季折々、大きいのから小さいのまであらゆるおっぱいをみることができる現代においておっぱいだけで映画の良し悪しを判断することなど誰にできましょうか?少なくとも私には、そんな傲慢は出来やしません。

 

というのは建前で、どんなに凄かろうとおっぱいについて書けることってあんまりないんだなということに今気づいただけでございます。

 

おっぱいを抜きにしてもこれは確かに凄い映画なんです!

 順番に書いていくと、セットなど凄いもので80年代特有のえらい金がかかってるのがバレバレのやつです。映画を見た後で「吉原遊郭」で検索した時の「同じやつやー!」感は凄いものでした。

 

 音楽なんかも、軍歌や流行歌?民謡?などちょっとジャンルに疎いので詳しくはわかりませんが、当時の風俗らしい今となっては趣深い音楽が使われており、映画の空気管を演出しております。竹中直人演じる愉快なおじさんのエアーバイオリンなんて弾いてないのがバレバレでむしろ清々しいくらいです。この胡散臭さが当時っぽい気もします。

この映画はたぶん音楽の使い方がなかなかに特殊で、っていうのは、終始、ずっと愉快なんです。悲劇的なシーンとかでもずっと愉快。病気になって狂った花魁がおっぱい出しながら血を吐きながら叫びながらスローでにじり寄ってくるシーン(マジです)でもずっと愉快。あのシーン(有名なシーンらしい)は個人的にはジャック・ケッチャムの「隣の家の少女」を読んだ時の感情を呼び起こさせるところがあって。画面の中で苦しんでる花魁をただ傍観することしかできない感じとか、悲痛な気持ちの横で「発狂演技すげー」って楽しんでる感じとか、を、音楽に見透かされてるようで。あと、吉原に来てる客なんかは、花魁が一人狂って死んだって、「玩具が一つ壊れたらしい」ってくらいにしか思わないのかなーって思って、悲しい気持ちと、罪悪感みたいなのでいっぱいになった。

 

演技、演技は発狂以外の部分でも実はかなりしっかりしたものであったと思う。なんだろう。所作とか日本の様式美的な部分がちゃんと美しく、艶めかしく表現されてた気がする。(ちょっと前に外人の監督が撮った江戸川乱歩の「陰獣」を見せいかもしれない。あれに出てきた舞妓さんの踊りとか映画内ではうまいことにされてたけど絶対そんなことなかったと思うし。)様式美がちゃんと表現されてるってことは、その芝居が芝居的(例えば歌舞伎っぽいとか)であることにもなると思うので、「リアルな演技」とかではないかもしれん。

 

以上が合わさった異様な空気感がこの映画にはあったと思う。映画の中の吉原は一種の異界のように感じられました。それはもはや「千と千尋」式のファンタジーって感じ。あの愉快な音楽とか、客引きの感じで、建物のあの吹き抜けの感じとかがどうにも「千と千尋」を思い起こさせて、「千と千尋」が汚された気持ちになった(油屋は売春屋さんだったのでは?と)。

 

んで思うに、この映画のラストを飾る吉原の大火は1つの世界の終わりだよなーと。

映画の中でも説明があるのだけれど、吉原の遊女って基本的に吉原から出ることを許されてなくて、その結果として「吉原が世界の全て」ってくらいに思い込んでしまっているような気がして。そう、態度の割にやってることがバカっぽく見えるんです。びっくりするくらいくだらない男に入れ込んで裏切られ、発狂したり、身請けしてくれるっつって貰った金で花魁道中やったりね。なんというか、閉鎖された世界に長く居たことで、本当はもっといろいろあったはずの選択肢を考えられないようになってしまったのかなって。

この映画の最後は吉原の大火に駆け付けた久乃さんが微笑んでいるような悲しんでいるようないろいろとれる複雑な表情で終わって、その解釈は視聴者に任されるのだけれど。この表情ってたぶん自分の世界が終った顔だと思ったんです。そりゃぁ、多くの悲しみと苦しみを生んだ吉原の崩壊は少しは嬉しくもあるかもしれない(もう誰も苦しまずに済む)。でもそれよりも、自分が今まで世界のすべてだと思っていた、吉原が(しかも久乃はその頂点に立っていた)焼失したら、もう自分には何もないんじゃないか。思い人の身請けの誘いを断っての花魁道中までしたのに、今まで自分がしてきたこととは何だったのか。っていう全てを失った喪失感が、あの表情だと思って。だって吉原が焼失したら久乃さんはどこに行っても、何の地位もないただの抱き枕じゃないか!うわぁ。と思いました。

 

あと、大火で消滅した閉ざされた世界「吉原」ってなんかソドムチックでいいよね。

終わり。