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鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

全盲全聾の美少女作曲家・佐藤田中鈴子・戦地へ送る鎮魂歌

今年のうちに書いておきたいテーマがあった。

佐村河内を現代音楽として評価してみたい!

クラシックも現代音楽も解さない私なので何を書いてもただの戯言にしかならないのだけれどちょっと書きたい。

 

「クラシックとして」評価するのは、まぁ、無理だろう。もともと「新規性がある」から評価されてたわけじゃないと思ってたし。あれは先人たちが積み上げてきたものを使って作られたものってことをたしか作曲者が言っちゃってたし。クラシックとして評価されるっていうのは、"先人の積み重ねの上に更に自分が生み出した要素を加えて音楽として成立させる"ことが必要なのかなと思っている。

 

ここで「現代音楽」っていうのはクラシックとは違って、”先人の積み重ねの外で音楽をやる”という風に自分はイメージしている。例えば、有名なジョン・ケージの「4分33秒」とかは「ちょっと黙って耳を澄ましてみなよ。楽器なんか使わなくたって周りからはいろんな音が聞こえてくるだろ。これも音楽なんじゃね?」みたいなメッセージ兼新規性を持って作曲?されたものだったはずだ。そしてそれぐらいのこと気づいてた奴は沢山いたはずだ。ただ最初に作品という形にしたのがジョン・ケージだっただけで、音楽史に名前が載ってるのはジョン・ケージなのだ。そしてこの曲は明らかにクラシック的積み重ねからは離れたところにあるものである。

つまり、現代音楽は「俺、こんなこと気付いたぜ」って最初に言った奴が評価される部分があるジャンルだと思っている。あとは実績とかそういうのも関わってくるんだろうけどその辺はよくわからん。

 

で、佐村河内なのだけれど、新規性を持って使われた技法は、これでもかというぐらい執拗な「プラシーボ効果」である。被ばく2世、全聾、HIROSHIMAという念の入れようだ。広島の原爆をテーマにして障碍者が作った曲なんて賛辞は送れても貶めることなんてそうそうできるもんじゃない。さすがのラインナップだと思う。

しかし、この効果は正直、広く一般的に使用されているものである。ただし、その技法を使用したことは公表されることがまず、ない!のである。例えば「これは広島の曲じゃないだろ!」と言われても「いえ広島の曲です」と言ってしまえば、その人の心の中なんてわからないのだから、それ以上の追及は難しい。何なら「全盲全聾の美少女作曲家・佐藤田中鈴子・戦地へ送る鎮魂歌」で売ることだってできるのである。

だから佐村河内の凄いところは、「プラシーボ効果」により多くのCDを売ったこと、その道の評論家からも賛辞のコメントを引き出したこと、そして嘘がバレたこと!である。たぶんこの規模で、一般人にも分かる形でプラシーボ効果を”実証”した人は他にはいないはずだ。そしてこれは紛れもなく新垣さんではなく佐村河内の功績である!

 

HIROSHIMAという曲は、むしろこれからの聴取者がプラシーボ効果に踊らされぬよう、音楽が雑念から解き放たれ、更なる高みへ上るための”戒め”として、歴史に刻んでおくべきなのである!

 

と、少々熱くなりましたが、要はプラシーボ効果で売ってる奴らムカつく!この機会に絶滅しろっていう私怨みたいなもんです。