鉛甘味料うるたこんべ

変なもの愛されないものを主とした本、映画、工作、その他の記録

オタサーの姫に告られた結果wwwww の結末は最初から決まってるようなもん

みさくらなんこつ、ハースニールのエロゲ「オタサーの姫に告られた結果wwwww」やりましたーv(゚∀。)vアへェェ

この記事は、ややネタバレ含むのと、結局結論が出ないのと、にわか臭がすると思うので注意です。

 

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このエロゲはですね。 この時にメイドさんからオススメしてもらったやつです。良かったです。メイドさんのゆうことは聞いとくものだ。

urutakonbe.hatenadiary.jp

 

あらすじ!

オタサーの姫に告られた結果wwwww♡♡♡!!!♡♡♡♡・・・・・・・・・。

あらすじ終わり!

 

私が無知なだけかもしれませんが、オタサーの姫とかサークラとかメンヘラとかって、ここ20年くらいで生まれたThe現代の闇って気がして、新鮮でよかったです。

本人たちは真剣に悩んだりしてる気でいるんだろうけど、端から見るとめちゃくちゃ狭い視野で選択、行動し、当たり前のように破滅していくのが酷く滑稽で絶望的にいい感じです。笑える悲劇ですね。今もどこかでこんな感じにサークルがクラッシュしているのかなー。いいなー。

 

 

姫という人種はリアルで関わったことがないので分かりませんが、主要オタクの皆さんはその界隈でよく見かけるようなTheオタクとしてよく描かれていました。

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因みに私は主人公の飯島くんタイプですね。(飯島くんは立ち絵なし)

「思い込みが激しくて」うん、「自分のことしか考えてなくて」そうだわ、「他人のことを見下してる」見下してるわ。

その傾向はたぶん、このブログの過去記事なんかからも読み取れる気がするんですけど、どうなんでしょう。こうやって書くと私がヤバいやつみたいになってしまうんですけど(このエロゲ内での飯島くんの行動は常軌を逸しているので)、まぁ、いいです。

因みに、↑に貼ったメイドカフェの記事で、私が「メイドさんいいね!!」ってなるまでの思考回路 と、飯島くんがミユミユ(姫)にちょろまかされるまでの思考回路がほぼ同じだったりします。私も飯島くんもちょろイですね!(あの日の私はルーチンワークでちょろまかされたのかなー。それはそれで素敵。)

 

 

このエロゲ、当然のようにバッドエンドしかなくて、当たり前のように破滅していくオタクたちと姫の物語が楽しい作品ではあるんですけど、どうにかしてミユミユを幸せにできないだろうかと、どうしてもグッドエンドを模索してしまいます。(飯島くんのグッドエンドはなくていいです。)

それはミユミユが可愛くて、簡単にヤラせてくれそうだからっていうのは確かにあるんですけど、ミユミユってビッチな所だけ目をつむれば割と悪い子ではないような、素直ないい子のような気がするんですよね。

 っていうのも、ミユミユは単に「チョロいオタクどもを操って自分のいいようにしよう」というスタンスではなくて、一応「みんなで楽しくやりたい」とか「あの人ともっと仲良くなりたい」みたいな好意で動いてるっぽいから。

悪意は、ない。たぶん。悪意はないけど、「自分悪いことしてる」っていう感覚はあるっぽい、でもやめられないしやめない複雑怪奇なメンヘラ心理。

無意識で悪いことしてるからこその「最悪」でもあるんだろうけど、私は人が好意でしたことに対してあんまり咎める気持ちにはならないかなー。ミユミユの行動が誰かの迷惑になるっていうのなら良くないけど、オタクのみんなはミユミユの行動からいい思いしかしてなくて、例え裏切られたとしてもそれは単に元の状態に戻っただけって気がしてしまいます。オタクがモテる状態こそが異常であり、女なんぞとは縁がない状態こそが自然だと。

(まあ、他人事だからそう思う所はあるんだろうけど)

 

私がどう思うかとは関係なく物語は破滅への一途をたどり、ミユミユは主要オタクの内野崎くん以外のメンバーと肉体関係を持っていたことが発覚し(野崎くんww)、純情(笑)をもてあそばれたオタクたちとミユミユの間には被害者と加害者の関係が産まれてしまいます。

で、社会(笑)は恐ろしいもので、加害者とか、犯罪者とか、バカッターの人とかが相手だったら何をしてもいいような、そういう流れで、憐れミユミユの人権はみるみる削られていき、終盤ではもう人間ではなくオタクたちの玩具、肉便器みたいな状態となってしまいます。

(因みに、飯島くんだけは加害者とか関係なくどんな相手も最初から人間とはみなしてないような節があります。)

そして玩具のいいところは、いらなくなったり、都合が悪くなったら捨てることができることなわけで・・・。

(この対玩具的な接し方は一部のニコ生とか、fc2Liveとかで見かける気がします。割と身近にある狂気!是非リアルでは関わりたくないものです。)

 

 

で、こういう状況でどうすりゃ良かったのかっていうのをいろいろ考えた結果、ミユミユはどこで間違ったのか?どこからやり直せばグッドエンドの可能性が産まれるのか?が全く分からないところがこのエロゲの恐ろしさって気がします。

たぶんどうあがいても、絶望。

飯島くんに声をかけなければよかったのか、そもそもオタサーにかかわらなければよかったのか。それでもミユミユはどこへ行っても同じようなことをするだろうし、例え飯島くんと関わらなくてもすぐに第2、第3の飯島くんが現れて結局破滅していくような気がするし。

じゃあさらに遡ってミユミユのパーソナリティーから矯正しないといけないのか?ってなると、「そもそもビッチは存在してはならない」ってことになってしまって嫌だし、ミユミユが救われないしなー。

日本が一妻多夫制になればいい、ってなると素敵だけど話が大きくなりすぎて現実味がないし。

 

 

うーん。

 

 

わかりませんでしたーv(゚∀。)vムリー

(この動画の感じからするとオタサーwwはみさくら語ゆるめだったんだなー。)

私たちはジョジョが大好きだ JORGE JOESTAR

舞城王太郎ジョジョでやりたい放題やった本ってだけで垂涎なのに、Amazonの評価が最低or最高の二極化してるなんてそんなん面白いに決まってるじゃないですかー♡♡

と思って読みましたー。

 

ジョージ・ジョースターッ!!

JORGE JOESTAR

(表紙のリサリサは目が離れてて垂れ目であんまりリサリサっぽくない)

 

あらすじ!

ジョージ・ジョースターいじめられっ子のヘタレでありながらもリサリサの寵愛を受けゆとり生活を満喫し、なんやかんや成長して飛行機のパイロットとして活躍したりするのだった。そしてもう一人の名探偵ジョージ・ジョースターは究極生物、吸血鬼、神父、悪魔、殺人鬼などのチート能力者たちに翻弄されて、西暁町、杜王町、火星、イギリス、裏返った杜王町、アメリカ、隣の世界、あらゆる時と場所を駆け巡る奇妙な冒険に巻き込まれていくのであった。

あらすじ終わり!

 

要は、ジョージ・ジョースターの名を冠してこそいるがその実は単にジョージが長官ゾンビに殺されるだけの話にあらず。各部の舞台を股にかけたチート能力者たちのオールスターバトル!ASBなのです(って書くと駄作感が出るけど名作です)!

 

本編を一通り読んだ人なら誰だって思う(俺だって思う)ことだと思うんだけど、

「カーズがラスボス最強じゃね?」とか

「結局聖人って誰よ?」とか

「ディオが天国に行ってたらどうなってたの?」とか

「時を操るスタンド使い同士が戦ったらどうなっちゃうの?」とか

疑問は尽きず、

「究極生命体カーズは何を思うのか?」とか

「何故プッチの能力は時の加速なの?」とか

「エリナさんとディオ」とか

「ディオとジョルノ」とか

キャラに対する掘り下げ方も異様に深く、読書家舞城王太郎一流の解釈がこれでもかと詰め込まれているので、これを読んでから本編を読んだら、また新しい視点でより深く、より楽しく読み込むことが出来そうです。

 

各部に跨った疑問の山、妄想の大海をギッチギチに凝縮して、本編に矛盾が生じない、つじつまの合う物語を超絶技巧により構成し、1冊に纏めたのがこの本です。

こんな内容の割に本編の方に矛盾は生じないし、意外にキャラに対する解釈も「そうかもしれない」と思わせるスゴ味と説得力がありました。

 

で、こういう内容だと、この本は短編集みたいなもんで一貫したテーマみたいなものはないのかっていう気もしてきますが、そういうわけでもないです。

私が受け取ったテーマはなんだかんだ言って

 

ジョジョ

 

ですね。

そりゃそうじゃんって気もしますが、765ページの長編を書きあげるほどの愛ってすごいですよ。この本「魍魎の匣」(講談社ノベルス版)よりページ数多いんですから。

一見荒唐無稽に思える物語を包み込むのは、舞城少年が抱いた「奇妙な冒険」への無邪気な憧れであり、「こうしたい」「こうなのかもしれない」「こうだったらいいな」という祈りであったのではないでしょうか。

愛は 祈りだ。

作中で”ビヨンド≒作者がジョージ・ジョースターを主人公に選んだ”、”ビヨンドの意図がどうのこうの”みたいな、メタい表現で作家の存在を匂わせることで、他でもない「舞城王太郎がこれをやりたかったのだ」っていうのを言っている気がします。(まぁ、メタいのはいつも通りではあるけれど)

「JOEGE JOESTAR」は、舞城王太郎から荒木先生への好き好き大好き超愛してる。なんですね。文体が軽薄でも、物語が破壊的でも、結局愛は美しいよなー。

 

 

で、ここからちょっと思い付きの話

 

「何故こんなにジョジョが好きなのか」

 

私、舞城王太郎とか西尾維新とかの所謂「メフィスト賞作家」たちが、普通のいい作品だって書けるのにどうして「0か100か」みたいな好き嫌いの分かれる作風で書き続ける理由を分かってる気でいるんですけど、

あれっているのは、

「なるようにしかならない」こととか「常識の範囲内でやるのが美徳とされる」ことへの反逆なのかなって思います。

 

小説(とか漫画)って所詮紙とインクに過ぎないのだけれど、技術さえ伴えば、自分の身一つで、何の制約も受けることなく脳髄から宇宙すら引っぱり出せるっていうすげぇ文化でありまして、「なんでもあり」なのがいいところのはずなんです。

 

しかし現実に「よく」売られてる本はどうでしょう。

「誰かが幸せになって嬉しい」「誰かが死んで悲しい」

みたいなよくある似たようなきれいな話が量産され続け、こういう本はパブロフ系男子、パブロフ系女子に買われてベストセラーになるけれど、一方で「なんでもあり」の素敵ワールドを描いた作品は淘汰され、一部の狂人の中だけで愛好されるに過ぎないんです。

小説の中では「誰かが幸せになって悲しい」世界や「誰かが死んで嬉しい」世界だってあってしかるべき(まぁ、それが面白いかは置いといて)なのに、そんな本はなかなか見つけることができない。

 

そこに至った人、よくあるきれいな話をつまらなく感じてしまった人が物語を紡ぐとしたら、どうなるかってことを考えると、おそらく

「なるようにならない」「常識から逸脱する」

ことを大前提として書き始めることになると思うのです。

自分が楽しい物語を作りながら、たまにパブロフちゃんが間違えてこっち側に落ちてくるように蜘蛛の巣を張っているのです。あわよくば「なるようにしかならない」本の方が淘汰されて、もっと楽しい本が世界中に溢れるように。

 

で、そろそろジョジョの話です。

 

読書初心者、漫画初心者にとって、「なるようにならない」世界を見つけるのはすごく難しいんです。ベストセラーにならないから。日の目を見ないから。日の当たる世界にいながら「ドグラマグラ」の文字列を見つけるのは道で段ボールに入った猫の死体を見つけるくらいには困難です。

よくあるきれいな話をつまらなく感じてしまったとしても、それは自分の方がおかしいのだ、周りが面白いというのだから面白いのだと自分を偽り、うすら笑いを顔に張り付けて生きていくことを強いられるのです。

 

ジョジョはですね、そんな悲しき失格人間たちが初めて見つけるサブカルであり、「なるようにならない」世界だったのではないかと思ったのです。

だって、ジョジョって「週刊少年ジャンプ」に載ってたんですよ!(今はウルジャンだけど)

漫画の文脈からは絶対にたどり着けない独特の絵柄で奇抜なキャラクターが奇妙な戦いを繰り広げる漫画、「なるようにならない」世界が、少年たちのすぐ近くにあった。

ジャンプでジョジョに出会って「面白い世界」を初めて認識し、救われた失格人間のいかに多くあったか!自分を殺してつまらない世界に甘んじるはずだった人をジョジョがどれだけ救ったか!

悲しき失格人間たちにとってジョジョは命の恩人であり、奇妙な冒険に誘ってくれる良き友であったのかもしれません。

そんなジョジョが嫌いになれるわけがないし、大好きだし、思い出補正を抜きにしてもいまだに面白いんだから、もう、超愛してるって訳ですよ。

 

当時ジョジョが担っていた「なるようにならない」物語を紡ぐ役割を、黄金の精神を、今、舞城王太郎とか西尾維新とかが受け継いでるんだとしたら、それは素敵なことだなって。

 

ED カール・オルフ 「Carmina Burana ~O Fortuna」

(命を運んでくると書いて運命か)


Carmina Burana ~ O Fortuna | Carl Orff ~ André Rieu

「ラヴクラフト全集1」を持って水族館に行こう

ラヴクラフト全集1を読みましたー。&読んでたら水族館に行きたくなったので行ってきましたー。

ラヴクラフト全集 (1) (創元推理文庫 (523‐1))

 

ネット界隈でよく見かけるクトゥルー神話の創始者にして、宇宙的恐怖なるものの提唱者であるところのラヴクラフトさんとのことですが、よくわからないので読んでみました。

ラヴクラフト全集1の収録作品は以下の通り。

インスマウスの影」

「壁のなかの鼠」

「死体安置所にて」

「闇に囁くもの」

f:id:urutakonbe:20160710093556j:plain(インスマウス面)

 

まず、宇宙的恐怖って何ぞって話になるわけですが。

万物の霊長だなんだっつって地球の支配者面してる人間だけれど、深海とか地下深くとか宇宙には、もっと訳の分からん力を持ってたり、訳の分からんスーパーな知的生命体がいるかもしれない訳で、そいつらが気まぐれに、人間がアリを踏みにじるくらいの気持ちで猛威を振るったら、私らアリは訳分からんままなすすべもなく蹂躙されるだけな訳で、訳分からんけど超怖いよね。

みたいな感じでしょうか。

訳が分からないもの対する恐怖、想像力が豊かな「宇宙ヤバい」ですね。

 

で、おそらく「宇宙的恐怖」を重視した結果、怪物については「名状しがたい冒涜的な姿」みたいなえらいモヤっとした描写しかされないことになったのかと思います。おそらく「描写できる」=「理解できる」⇒「怖くない」、という方式。土地の話題とか建築の話題は執拗に描写してくるのに、肝心な所をボカされるなかなかにもどかしい読書でした。(細部をガチガチに固めてしまわなかったから、後年2次創作的に広まったのかしら)

題材は「宇宙人!」とかベッタベタのアメリカンなんですけど、このチラリズムはジャパニーズホラーにも通じる気もします。「闇に囁くもの」なんかは読みながら「遠野物語」に近いものを感じました。

 

f:id:urutakonbe:20160710163901j:plain(深き者ども) 

 

インスマウスの影」だけあらすじを書いときます。

”物好きな旅人が興味本位の軽い気持ちでで巷で噂のインスマウスの突撃取材に踏み込んだのだけれど、インスマウスは当初思ってたよりもずっとヤバい人外の支配する町であり、旅人は当然のように酷い目にあうのであった。”

 

この話に出てくる怪物は「深き者ども」とかいう魚人的な奴らなのだけど、件の「宇宙的恐怖」の演出によって怪物の描写が余りされないので、イメージが涌きにくくもどかしいです。魚くらいならもうちょっとちゃんと描写できるだろって気がするのですが。

まぁ、故人に文句を言ってもしょうがないので、私は水族館に行って名状しがたい魚たちのご尊顔を確認することにしたのです。

(そういう目で魚を見るのも楽しいかなと思って。)

 

f:id:urutakonbe:20160710172621j:plain(冒涜的に蠢く触手)

 

インスマウス=異界としての世界観の作りこみや、そこからの脱出劇は非常に緻密かつ緊迫感があり楽しく読むことができました。世界のどこかにはダゴン秘密教団に支配された村があって、崇拝者たちが夜な夜な謎の儀式を開いているのかもしれない、とか、人の寄り付かぬ忌まわしき土地で宇宙からの来訪者が会合を開いているかもしれない、みたいなことは考えられなくはないとはいえ、いまいちピンと来ないですよね。

ラヴクラフトは1890~1937年の人なのでエベレストの初登頂が1953年ってことも加味すると、まだまだ人類未踏の土地が多く残されていた時代だったと思うので、妄想も広がりやすかったのかと思います。邪教、密教もまだ沢山あったのかなぁ?

 

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(イア!イア!クトゥルフ・フタグン!)

 

あとは、狂気に至るまでの描写が非常にそれらしく描かれていて、いい感じです。全集1は、どの話も基本的に主人公の1人称語りなのですが、最終的にはみんな狂ってしまうので、もはや主人公本人にさえどこまでが現実でどこまでが妄想だったのかわからなくなって終わります。自分が狂っているような気もするし、自分以外の全ての人が狂っているような気もする。

誰も何も自分すらも信じられないっていうのはまた恐怖ですね。

 

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(目が狂気に満ちている・・・)

 

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(この世のものとは思えない冒涜的な造形だ・・・)

 

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(こんな生物が自然に発生したとは思えない。草間彌生にデザインされたのか・・・)

 

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(このかわいらしさ、名状しがたい・・・)

 

えー、というわけで、ラヴクラフト全集1は海に思いを馳せる楽しい読書でした。

読書って、書いてある内容に自分のイメージがついていけるようになるとより楽しくなると思うので、結局のところ外に出て実際に見てくるのも大事だなーと思いました。

水族館に行くにしても、今回の回り方と、普通に行った場合の回り方はまた別の味わいがあったと思うので、相乗効果でまだまだいろんな楽しみ方ができそうです。

 

書を持て、町へ出よう。

 

ED 筋肉少女帯パブロフの犬

(狂気っつったらこれ)

快楽を飼い慣らすのか、飼い慣らされるのか 「euphoria」

euphoria」フルコンプしましたので、なんか書きますー。いえー。

 

何やらハードめなエロゲの傑作とのことなのでワクワクしながらプレイし始め、私の期待を裏切らないどころか遥か頭上を飛び越えていくすげぇエロゲでした。

私はエロゲ歴2作目の糞にわかなので評価に困りますが、私のゲーム歴、読書歴の中に含めてもかなり上位に入る大好きな作品になりました。

なんというか「家畜人ヤプー」とか「O嬢の物語」とか「ドグラマグラ」の遺伝子を感じたような気がして、凄く嬉しい気持ちになりました。これらの奇書、問題作って、一代限りで途絶えてる(だから貴重)って気がしてたんだけど、私の知らないところで脈々と後継が作り出されているのかもしれないと思うと多幸感に包まれながら眠りにつけます。この糸は弱そうに見えて以外に強靭ですね。

 

↓この並びです!

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あらすじ!

真っ白な部屋に閉じ込められた主人公(恵ちゃん)と5人の少女たち(委員長は含まない)。淡々とした機械音声が凌辱ゲームの始まりを告げる!扉は全部で5枚、1回のゲームをクリアすると扉は1枚開かれる。開錠者(恵ちゃん)は用意された鍵を鍵穴(少女たち)の口・膣・乳・尻といった部位に使用する。 5ターン以内にすべての扉が開かれなければ全員死亡。主人公の選択は?!ゲームの目的とは?!

あらすじ終わり!

 

あらすじとしてはこうなのだけど、どちらかというと部屋から脱出してからの方がメインのストーリーとなるので、「SAW」とか「cube」とかの派生は正直飽きたよという人でも楽しめるかと思います。単に理不尽ゲームものとして見ても、エロゲという媒体の強みを最大限に生かした冷酷無比な内容となっていますので、年齢制限なしの映画とは一線を画すかもしれません。

 

私の攻略順は以下の通り

「凛音様」(澄ました顔しやがって、犯してやる!)

 ↓

「鼻フック先生」(ストーリーにあんまり関わらなそうな女だ!早めに犯してやる!)

 ↓

「梨香ちゃん」(うざい女だ!手酷く犯してやる!)

 ↓

「合歓ちゃん」(敵の本丸だ!犯してやる!)

 ↓

「叶」(かわいい幼馴染だ!犯してやる!)

本当は最初に5ターンで複数人を犯すルートに行ったんだけど、全くストーリーが進まなかったので含めてません。ただ、この時に凛音様の綺麗な顔が苦痛に歪む姿を見たくなったので最初に凛音様を選んだっていうのはあります。

 

出てくるプレイ内容はこんな感じ。

電気椅子、緊縛、鞭打ち、首吊り、フィスト(拳)、ギロチン、鼻フック、筋弛緩剤、下剤、スパンキング、舌攻め、キスイキ、水槽、生配信、うんこする、うんこさせる、おしっこ、チューブ連結循環、食ザー、サンドイッチ、異物出産、犬、人間洗濯機、便女、まだまだ沢山。

読んでるだけで楽しくなる身の毛もよだつような素敵なラインナップです!

ほとんど天才が考えたとしか思えないようなプレイや緊縛方法が沢山あり、なんというか人類の英知というか、人間の業の深さみたいなものを感じます。変態は偉大ですな。

お気に入りは合歓ちゃんとのキスイキのシーンでした(私は割とノーマルなのだ)。このシーンをアイス(ねっとり濃厚なやつ)を舐めながらやるとすごくいい感じです。

キツかったのは、チューブ連結循環、人間洗濯機、便女あたりですね。興味深くはあるのですが、トイレに行って少し考えてみて、やっぱりキツいです。

 

これらのプレイを全力で演じ切る声優さんに敬意を表します。ガチすぎる絶叫、奇声、異音の数々に引き攣った笑いが顔から剥がれませんでした。こういうマジのガチの本気を感じられるの大好きです。

 

 というのがeuphoriaの前半の話で、このゲームが名作たる所以はむしろ後半にあるのですが、後半はゲームの面白さを損なう類のネタバレなしでは語れないので未プレイの方は読まない方がいいです。休憩を挟んで後半について書きます。

 

休憩 特撮 「アベルカイン」

どっちを!選べど!獣のように生きていくだけ!

 

 

 

 

ここから後半です。物語の核心に触れるネタバレを含みます。

 

後半は、叶が黒幕だったこととか、本当は合歓が幼馴染だったんだけど恵ちゃんは記憶を弄られて分からなくなっていたこととか、全ての事情を踏まえた上でトゥルーエンドでの「叶」と「合歓」について書きたいと思います。

 

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まさか叶が黒幕だったとはねー。人間洗濯機とか体張りすぎなおかげでまんまと騙されました。

でもまぁ、「恵ちゃんの肉便器」になってしまった叶よりは黒幕としての白衣の叶さんの方が素敵で欲情します。「恵ちゃんはモルモットなんだよー」と種明かしする時の叶の楽しそうなこと。

全てが演技だったと知ってからだと、地下ゲームの時の叶の言動も別の味わいが出てきます。後に恵ちゃんのことを「最初から最後まで大嫌いだった」と言うその口にどれだけ奉仕され、甘やかされたことか。地下ゲーム中の叶の気持ちを考えるとどこまでも妄想を広げられそうです。

 思うに、叶がやりたかったのはミルグラム実験とかスタンフォード監獄実験みたいなことで、権威や場の空気によって思考を停止し、己をなくす普通の人々のように、恵ちゃんが快楽の虜となって完全に叶の操り人形になるように仕向けてたんです。

叶は基本的に、「人の心なんて簡単に操れる」と思ってる娘なんです。自分は恵ちゃんの奴隷だと言いながら実際のところは恵ちゃんの方を奴隷(または犬)として調教してたんですね。

地下ゲーム終了後の学園で非道の限りを尽くしてたように思えるモブたちを見たときは、「なんだ、モブの方が恵ちゃんより鬼畜じゃないか」と思ったものですけど、あれは、おそらく洗脳されていただけで、モブ共は仮に元の世界に戻ることができて学園内での行いを罪に問われたら、ふてぶてしくも無罪を主張するアイヒマンなんです。

その点恵ちゃんは地下ゲームの時から一貫して、「ルールだからしょうがない」とか「自分も被害者だ」みたいな思考に流されず、「自分は加害者であり、自分の意思で犯したいから犯すのだ」というスタンスを崩さなかったため、叶の思い通りにはならない自分を保つことができたんですね。その辺がモブと恵ちゃんの一味違う所です。

ミルグラム実験(奇しくも叶の5ターン目と同じ電気です)で電圧を最大まで上げながら

「気持ちいいっていうんだ、叶、気持ちいいだろ?」

なんて言う被験者がいたでしょうか?そんな外道は恵ちゃんしかいねぇ。

 

どうやっても思い通りにならない、行動が理解できない恵ちゃんは研究者としての叶にとっては苛立ちの種であったのかもしれないけれど、同時に、どうしても達成したい課題みたいなものでもあったのかもしれません。

叶が最終的に合歓を施設から連れ出すという不合理な選択をするのは、恵ちゃんと同じ「愚かな」行動をとることによって恵ちゃんの思考を辿り、恵ちゃんを理解したかったのかもしれません。

(それって好きってことじゃん。)

 

 合歓

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 黒幕と見せかけて実はメインヒロインだった合歓ちゃん。

時期「眠り姫」として生まれ、ただただ現実に絶望するように仕向けられ、人間の醜い部分だけを見せられ続けてきた不幸の塊のような女の子。ただ、恵ちゃんと出会うことがなければ本当に決定的な絶望はあり得なかったんじゃないかと思わんでもないです。喪失による絶望は何よりも強烈だから。

(合歓ちゃんを絶望させることだけ考えるなら、叶が「賭け」のために恵ちゃんを生かしたのは失敗だよなぁ。そのころから叶は恵ちゃんに対して思う所があったのか。単に調子に乗って遊び過ぎただけか?あるいは、叶は親に捨てられた境遇から「失う」よりも「恵ちゃんに殺されるほど憎まれる」方がより合歓ちゃんを絶望させられると思ったのかも。)

で、恵ちゃんの命を救うために「恵ちゃんに殺されるほど憎まれる」方を選んだ合歓ちゃんは地下ゲームで恵ちゃんを煽ったり、学園を地獄にしたり、凛音様を便女にしたりします。なんか、そこまで実行できるあたり本当に恵ちゃん以外の現実には絶望してて、恵ちゃん以外はどうなってもいいんだなという感じです。

恵ちゃんに対してはこの上なく純粋でありながら、それ以外の現実に対してはどうしようもないくらいの悪意を抱き、それを実行する合歓ちゃんが素敵。

で、結局賭けには勝って、恵ちゃんと共に合歓ちゃんの楽園に繋がれることになってハッピーエンドでも良かったのだけど、恵ちゃん曰く

「俺たちは『楽園』に行く資格はない」

とのことで、あくまで現実の合歓ちゃんと幸福になることを選択し、合歓ちゃんの世界から出て行ってしまいます。

このセリフ、最初はいまいちピンと来なかったんだけど、恵ちゃんと合歓ちゃん両方とも生きているのだから、俺たちはまだ現実には絶望しきってはいない、みたいな意味かなぁ。(「俺は」ではなく「俺たちは」なところがいいですね。)

もしかしたら、合歓ちゃんの世界に繋がれた恵ちゃんが、見えている幸福な世界が現実ではないことに気付くことができたのも、合歓ちゃんが(無意識に)恵ちゃんと現実の世界に戻る「可能性」を残したのかもしれません。

 

最終的に(おそらく叶の手により)全ての記憶を失い大人幼女になった合歓ちゃんと再会したところで物語は終わります。何で記憶を失ったかについてはいろいろ考えられると思いますが、(合歓ちゃんが絶望し過ぎて施設から出たがらないから、とか、仮に組織に捕まったとしても「眠り姫」としての利用価値をなくすため、とか)結局物語は終わってもまだ2人は逃亡者の身であり、受難が終わったとは思えません。

選んだ道は決して楽ではないと思われますが、2人のその後は記憶の失った部分を幸福で満たして行ってくれたら素敵ですね。

 

 

どんなに現実が絶望的でも、何物にも支配されない不屈の精神さえあれば、意外と何度でもやり直しが効くのかもしれません。

 

ED 青葉りんご 「楽園の扉」


euphoria -楽園の扉-

清廉潔白なヒロインの下には死体が埋まっている 罪の光ランデヴー

エロゲ、「罪の光ランデヴー」やり終わりましたよー。いえー。

 

この時買ったやつです↓

urutakonbe.hatenadiary.jp

 

 

私、ちゃんとエロいエロゲをやったのは初めてなので、(昔、クラナドは、やったけれどあれはエロくなかったし)なかなか新鮮で、楽しくプレイすることができましたー。

 

気付けばクラナドから10年以上の月日が流れていることに驚愕しつつ、書いていきましょう。

あ、ネタバレあります。

 

エロゲブランク10年の身としてまず思ったのが、背景の美しさとか、キャラクターの表情やポーズが多彩で場面に合わせてくるくる変わる感じが非常に進化してて、正直それだけでも楽しめるくらいのクオリティーになってるすげぇ、ってことです。

背景は単に緻密になって解像度が上がったとかではなく、ちゃんと美しく見えるように構図とか光源の位置とかまで考えられていて、かつ、イヤミでない、ずっと見てられるような絵になっています。何度か同じ場所でのシーンがあっても何度でも「うわ、綺麗!」と思えるクオリティーですすげぇ。

画面上を桜が舞う演出とか、歩きシーンがアニメになってたりっていうのもあの頃はなかった(と思う)演出だったので、「桜散ったー!」「歩いたー!」と、いちいちビックリしながらのプレイでした。

 

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メインヒロインは左から「あい」「風香」「円来」の3人。

3人とも巨乳です。(「風香」は比較的小さいとはいえ、十分巨乳の範疇)

 

で、3人それぞれの「罪」をテーマに物語が紡がれます。

罪と言っても犯罪とかではなく(一部犯罪かもしれないけど法律に詳しくないのでわからん)、非道徳的とか、周囲の期待を裏切る行為、というレベル。

何が罪か、というよりは罪とどう向き合うか、どう折り合いをつけるか、みたいな話。

 

自分の行いが

→罪になるからやめる、のか

 →罪と知りつつ突き進む、のか

  →罪であることを逆に利用する、のか

 

いろんな選択肢の中から自分とパートナーにとっての最良の結末を模索していく姿は青春という感じ。一度は「罪になるからやめる」選択肢を選んだとしても、なんやかんや「罪と知りつつ突き進む」選択肢に進んでくれるのが痛快で素敵です。なんだかんだ言っても本当の望みはそこにあると思うから。

(風香、円来ちゃんルートはそんな話かなぁ。背負った罪をどう処理するかの違いはあれど。)

 

で、「罪であることを逆に利用する」のが、あいちゃん。

多少語弊はあるかもだけどそんな感じ。あいは、主人公の野々村と、「罪によって繋がること」を求める。

野々村に自分のことを覚えていてもらうために罪を犯すっていうのは、ある種の承認欲求でいいのかしらん。

誰でも時には、「嫌いな人」とか「嫌いな上司」への呪詛が頭の中をグルグルと回って離れなくなることってありますよね。その相手の立場で考えた時に、たとえそれが憎しみだったとしても、四六時中自分のことを思っている人がいるっていう状態に喜びを覚える心理っていうのは実際にあるんだろうなぁと思いまして。

要はそれって解釈によっては、自分はその人にとっての「特別」ってことになるから。

あいちゃんはたぶん、ちょっと孤独でいる期間が長すぎて、自分と向き合う時間があまりに長すぎて、遂には「罪の繋がり」に喜びを感じている自分を見つけてしまったのかもしれません。罪に魅入られてしまったのですね。

流石のこじらせ具合で素敵だとは思いますけれど、とんだ地雷女ですね。

まぁでも、好きですよあいちゃん。おっぱいでかいし。

そんなあいちゃんの物語がどんな結末を迎えるかっていうのはこのエロゲの見どころですね。

 

あと、メインヒロイン3人以外にもサブで「セリカ」と「深柑先輩」が出てくるのだけれど、2人とも凄いいいキャラなので、この2人のシナリオもあったらよかったのにと思ってしまいます。

 

セリカ」は野々村と結ばれなくていいから、うまいこと円来ちゃんと一緒になるルートが欲しかったなぁと妄想します。そのためだったら途中から主人公はセリカに交代とかでも良かったのになぁ。セリカの野望ルートとか。

(要はレズプレイが見たかったのです。)

 

時折挟まれる深柑先輩の、淡々としているようで実はすごく優しく、実は凄く熱いキャラクターが、暗い展開も多いこのエロゲの凄い癒しになっていたので、深柑先輩には凄く愛着があります。(ストーリーに大きく関わってこないからこその癒しでもあったのかもしれないけれど)ただ深柑先輩はどうやったら落ちるんだろう?知的好奇心の塊みたいな人だから、野々村が「お互いの裸をデッサンしましょう」とか持ちかけたらなんやかんや応じてくれないだろうか。

(要は淡々とした先輩が乱れる姿が見たかったのです。)

 

えー。

人と人が「罪」で繋がるっていうのは好きなテーマで、なじみ深いもので言えば「ルパンと銭形」とかも罪の繋がりで結ばれてたり、古くは「フランケンシュタイン博士と怪物」の関係まで遡ることのできる人類普遍の生れ出づる悩みですからね。とはいえ、「罪」のテーマって一般的には「道徳的」「常識的」な立場からしか語られることがないから、あんまり本質に迫るものは少ないって気がします。

そういう所に、「道徳」のしがらみから解放されたエロゲという媒体で切り込んでいくっていうのはすごくいいなぁと思いました。(まぁ、そんな意図があったかは知りませんけど)

そういえば「背徳」と「エロ」っていうのは相性抜群の黄金コンビだと思ってたんですけど、なんか作中ではセックスがえらく肯定的に扱われていて(風香シナリオだけちょっと背徳的だったけど)あれぇ?って感じでした。でもよく考えると小説とか映画とか、なんならAVでさえセックスに対してこんなに肯定的なことってないから、逆に新しいのかもしれない。うーむ。

 

あと、ちょっと気になったことがあります。

 作中の村では最初のシーンから、最後のシーンまでずっと「桜」が舞っています。

ゲーム内で季節が巡る描写はありませんが明らかに数週間の物語りって訳ではなくて、どう少なく見積もっても数か月は時間の経過があるはずなので、(ただし1年は経ってない)その間ずっと桜が咲いてるっていうのはおかしいのです。

(演出の関係上綺麗だからと言ってしまえばそれまでですが)

で、考えたのですが、「桜」は罪上に立つ美しさの象徴だったのではなかろうかと。

これって完全に梶井基次郎桜の樹の下には」式なんですけど、

青空文庫のリンクを張ります。短いし面白いので読んでみてはいかがか)

梶井基次郎 桜の樹の下に

要約すると、

桜ってちょっと綺麗すぎてどうにも嘘臭く、恐ろしく感じる。何の負い目もなくこんな風に咲き誇る花などありえない。きっと桜の樹の下にはおぞましい死体が埋まっていて、そこから養分を得ているからあんなに綺麗に咲くことができるのだ。そう考えれば私も納得して素直に桜を楽しむことができる。

みたいな話。

 

エロゲのヒロインも同じようなもので、純真無垢、清廉潔白で完全無欠なヒロインなんてあり得なくて、その背後に数々の「罪」を背負いながら可憐な笑顔を振りまいているのかもしれません。

作中で桜がずっと咲き続けているのは、

少女たちが自分の罪を受け入れ、各々の未来へと歩んでいく姿を、死体の上で咲き誇る桜に見立てたのかもしれません。

 

(いや、そんなことはないか。)

 

BGM

天野月子 「翡翠(A moon child type)」


天野月子 翡翠(A moon child type)

変態文学で紐解く 「堕落論」 あなたは美しい

坂口安吾堕落論」を読みましたので、書きますよー。いえー。

 

えー、「堕落論」に先立ちまして、ひとまずフランス文学の話をしましょう。

っていうのも、「堕落論」もそうなのだけれど、安吾さんは考え方が非常に独特で、どういう過程を経ればそこに至るのか謎。みたいなところがあるんですけど、”フランス文学を学んだ”経歴があるそうなので、(ソースはwikipediaの”フランス文学を学んだ”という一文だけなので、ほとんど私の妄想ですが)そこから堕落の思考を紐解いてみたいなーと思ったのです。

 

私ね、「変態文学」はちゃんと集めようと思いながら日々の読書に勤しんだり、本屋を回ったり、ネットサーフィンしてるんですよ。

で、古今東西の変態文学を漁り、結構増えてきたなーと思って、ある日並べてみた時に気付いたんですけど、どういうわけか並外れた変態文学はかなりの割合でフランス人の手によって生み出されているっぽいんです。ラブレーとかサドとかジュネとかマンディアルグとかバタイユとか、これでもまだごく一部だと思うんだけどそうそうたる顔ぶれです。(ただし、私が無意識にフランス人から選んだ可能性もあるし、澁澤龍彦あたりのおかげでエキセントリックなフランス文学に触れることが容易な日本になっただけって可能性もあるのだけれど、まぁ、そうなのです。)

 

当然集めるだけじゃなく読みもするのだけれど、常軌を逸した変態文学にある程度親しんでくると、どういうわけか変態文学の中に一般文学では得られないある種の「感動」を見つけることができるんです。

でも、変態文学の中で描かれる情景で感動的なことなんて一つもないのです。そりゃあうんこ食べる話に感動するわけがなくて、なんだかんだ言って私だって何らかの「美しさ」みたいなのに感動するんじゃないでしょうか。

そう、変態文学には謎の美しさがあるのです。

執拗に繰り返されるうんこを食べる話の中に謎の輝きを見つけることができるのです。

 

自分の中で起こっている感情なのに、この感覚っていうのは説明のつかない部分があったのだけれど、思うに、「堕落論」に書かれている意味での「美しさ」だとか「文学のあり方」を感じる時の感覚に近いのではなかろうかと思ったのです。

 

堕落論 (角川文庫)

 

 安吾さん曰く

 

生きよ堕ちよ、

 

道徳も倫理も政治も人を幸せにしないし、「わび」も「さび」もよくわからないし、世間は「それっぽい」ってだけの理屈でホンモノか否かを断じ、嘘で塗り固められたニセモノをもてはやしているものである。

自分が何かを「正しい」と判断するとき、それは本当に自分の判断だろうか?

「道徳」という根拠のない正道が、「倫理」という訳の分からない規範が、「世間」という誰でもない誰かが、下した判断を自分のものと勘違いしてはいないだろうか?

人が大人になる過程の中で「自分の感性」が「道徳」だとかの訳の分からない判断基準に騙されて、本当の願望とは全く逆の行動を取らされているとしたら、こんなに苦しいことはないではないか。

 

直ちに堕落してやり直すべきだ。

 

「道」を踏み外し、「理」に尽きず、「世間」に背を向けてみて初めて、何物にも左右されない「自分の感性」でものを感じることができるのである。

清貧は欺瞞であり、贅沢は素敵だ!

 

はい!

 

で、フランス文学の話に戻りましょう。

とりわけ変態文学っていうのは、堕落しきった地獄のどん底で紡ぎだされた、外道、理不尽、反社会に満ちた現代まで続く呪いみたいなもんです。サドなんか貴族の産まれでありながらバスティーユに収監され、獄中でこそこそと文章書いてた人なわけで、サドが残した文章っていうのはそんな過程で成り立ってるわけです。さらにあの内容なわけですから、そこには嘘も、見栄も、建前も、恥も、外聞も、守るべきものなんてありえない。

そのクラスの変態文学というのはまず間違いなく、類まれな堕落者たちの「むき出しの感性」なのです。

「むき出しの感性」が時代も距離も飛び越えてしっかりと伝わったからこそ、本来美しさなんかとは無縁のはずのうんこを食べる話に私は「己を偽らない真実の美しさ」を見たのかもしれません。

 

 

 しかしながら、捕捉が必要かと思います。

堕落しろっていっても、正しく堕落しろっていうのが結構重要なのです。

堕落三昧で本能むき出しやりたい放題の淫蕩生活でみんなハッピー、って話ではないのです。その辺のニュアンスが難しいのだけど、断じて違う。畜生道に落ちろって話ではないのです。

 

その証拠になるか分からないけど、「堕落論」を実際に読んでみるとたびたび思うことがありまして、社会通念と真逆の思想を展開したり大御所の作家先生を批判したりしてばっかりいる安吾さんですけど、この人ってたぶん誰よりも優しいんです。優しくなかったら「生きよ」とは言わない。

フランス文学で言っても、堕ちるところまで堕ちきっているように思えるサドだって変態プレイはしたかもしれないけど殺人はしなかったそうです。(優しかったかどうかは知りませんが、この人は変態性を人ではなく紙にぶつけてたんですかね。)

 

で、考えたんですけど、「正しく堕落しろ」っていうのは、堕落し、堕落によって露わになったむき出しの自分としっかり向き合い、自分や他人が変態であることを肯定することができる懐の深さ持てってことな気がします。(「変態」の部分はいろんな言葉に置き換え可能です。「性悪」とか「節操無し」とか「甲斐性無し」とか「小悪党」とか)

 

「世間」曰く、変態とは悪であり、存在自体が罪である。

で、自分もそう思い込んでいるならば、自分の中に変態性を見つけたときにつらくなる、他人の変態性を許せなくてイライラするって訳です。ギャップの苦悩です。

だとしたら、自分の変態性を感性の一部として認め、仲良くやっていくことができたなら、そんな苦悩はさっぱりなくなるんじゃないでしょうか。他人に対しても、分かったような顔した道徳の人なんかより、真に優しくなれるんじゃないでしょうか。

なんというか逆説的性善説?違うか。

 

えー。

 

堕ちて、

どんなにみっともなかろうと、

生きて、

醜態を晒し続ける人は、

実は真に美しく、優しいのかもしれません。

 

 ED 中森明菜 DESIRE

(真っ逆さまに堕ちて desire)


DESIRE-情熱- / 中森明菜

メイドカフェ”Lost Kingdom”で私がドクターマンハッタンになるまでの話

先日初めてメイドカフェなるものへ行ってきたのでその感想でも書くよー。いえー。

久しぶりに日記を書いたらオープニングまでが長い映画みたいな形式になりました。ご容赦を。

 

では。

 

なんやかんやあって一人で東京で1日遊ぶことになった私は大した下調べもしないまま、「秋葉原とか行けばなんかあるんじゃね」くらいの気持ちで秋葉原へ繰り出したのである。

荷物をロッカーに預け、財布と携帯だけ持って、いざアキバ!

アニメキャラたちの見下ろす通りを一人ふらふらと歩く。一通り回ってみて気付く。あれ、意外とやることねぇな。

私ゆうてアニオタじゃねぇし、パソコンとかそういう電気のオタでもねぇじゃないか、私は秋葉原に何をしに来たのか、私の東京での休日は何の目的もないままただ歩いて終わるのか!と絶望が垂れこめる。

進むべき道を失い失意の中で天を仰ぐ私。空は雨。建物の壁には誰彼構わず微笑みを投げかける二次元の少女たち。

ん?雨、と、少女?   少女が、 濡れる?

 

そうだ!エロゲだ!エロゲを買おう!

 

進むべき道をおっぱいが照らす(意味不明)。そうと決まれば目指すところはソフマップだ。ソフマップに行けばエロゲが買えて、ついでにムチムチの水着のおねぇちゃんにも会えるはずだ。(ムチムチのおねぇちゃんはいませんでした)そんなこんなでたっぷり1時間くらい悩んだ末に1本購入。因みに私はエロゲを買うのは初めてである。エロゲ童貞を捧げる相手を選ぶためには1時間くらいはかかるものなのである。

 

装備が財布と携帯とエロゲになった。

 

入念にエロゲを選んでいたら時間は既にお昼時をだいぶ過ぎている。腹がすいたのでメイドカフェでも探すことにする。メイドカフェに行けばオムライスとかにありつけるものなのである。

 

再度街へ。

 

ソフマップを出ると雨が止んでいた。通りを行けばそこかしこでメイドさんがビラを配っている。それを無視して通り過ぎていく通行人が随分と冷たく見える。よしよし私がもらってあげよう、でも最終的には顔で選びますからね。私は下衆なのである。(というが、事前に下調べをしてないのだから顔で選ぶしかないではないか)

しかしながら、私はビラを回収しているだけなのにメイドさんたちはありがとうありがとうと感謝の言葉で見送ってくれる。あんまり感謝されるとこっちもなんかいいことしているような気持ちになってきた。嫌だ!これでは私がいい人みたいだ!つらい!これは早急に決めねば!

 

とか思ってた頃に「メイドカフェをお探しですか?」とちょっと踏み込んでくれるメイドさんが現れる。そうなんですよー。

「この辺り、うちの系列のお店がいくつかあるんですよー」といくつか紹介してくれる。「ここが〇〇モチーフのメイドカフェで・・・」という具合。へー。メイドカフェにもいろいろあり、ここまでの道のりで私がメイドさんだと思っていた人たちは一概にメイドさんというわけではなく、お店のコンセプトによってなんかいろいろあるらしい。話しかけてくれたそのメイドさんはマリオネットだった。

 

それにしても麗しいマリオネットだったので「あじゃあ、ここにしますー」っつったら、なんかお店まで一緒に連れて行ってくれるという。マジかよ、こんな綺麗な娘さんになら私ホイホイついていっちゃうぜ。

お店のコンセプトが人形っていうのもいいよね。人形っつったらあれだろ。四谷シモンとか天野可淡とかハンス・ベルメールとかのあれだろ?最高じゃねぇか。(違いました)

 

初対面特有の当たり障りのない会話を楽しみながらお店へ向かう。 

 

大通りからちょっとだけ外れた路地、とある建物の4階にそのお店はあった。

 

エレベーターの扉が開き中に入ると、マリオネットたちが笑顔で出迎えてくれる。

 

「おかえりなさいませ。ご主人様!」

 

「ただいま」

 

そのメイドカフェの名は”Lost Kingdom”と言った。

 

OP ROLLYと絶望少女達 「マリオネット」

 

 初めて帰宅するご主人様にはまずはお店のコンセプトを説明をしてくれる。

それなりに長いLostKingdomの物語をじっと私の目を見つめながら話すマリオネット。マリオネットがカンニングをしないようにずっと見つめ返す私。そのままノーミスで語りきるマリオネット。見事!

ずっと目を合わせてるのが楽しくて正直内容は全然頭に入ってこなかったけど、自分がマリオネットたちのご主人様であることと、おさわりセクハラは禁止だということは分かった。ご主人様も万能じゃない。

 

説明が終わったらさっそく注文だ。

電気ブランがあるじゃないか。珍しい。飲み物は電気ブランで、食べ物はガッツリボリュームのあるやつはあるかと聞くと。それなら裏フェニックスなるオムライスがおすすめなのだという。(やはりオムライスか!)では裏フェニックスをお願いする。

 

 裏フェニックスができるまでの間マリオネットとおしゃべりすることができた。

しかしながらリアルの私は掴みどころがなく正直かなり話題に困る人材だ。

そんな相手と会話しようとしたときに相手の持ち物から話題を探そうとするのは当然の流れであっただろう。

「今日は何買ってきたの?」とマリオネットが尋ねる。

来た、この質問。前述したとおり私の持ち物は財布と携帯とエロゲだけだ。

普通に答えていいのか?引かれはしないか?と一瞬逡巡したものの聞かれたのだからしょうがない。引かれてみるのも楽しかろう。

私「…エロゲです」

マリオネット「エロゲ買ってきたんだ。いいなぁ!見ていい?」

私「?!」

 

一瞬で悟った。ここの倫理は下界とは異なる。ここはエロゲが「普通に」存在する世界だ。(あるいは秋葉原全体がそうなのかもしれないけど)

普段私が交流することのある女子って、「オタク=キモイ」と無条件で判断するタイプのパブロフちゃんなので、このやり取りは衝撃的だった。

まさかこんな可憐なマリオネットとエロゲの話ができるとは。世界は広い!

マリオネットさんは「みさくらなんこつ」とかのエロゲが好きで、「School Days」とかやってみたいのだという。なんて素敵なチョイスだ。

 

世界の広さを感じているうちに裏フェニックス(オムライス)が出来上がった。

ケチャップでお絵かきしてもらった。(ミクちゃんだ!)

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食べる。なんてこった、どえらいうまいじゃないか。

なんかメイドカフェの食事ってこう、チャチなオムライスを法外な値段で出すものだという謎の偏見があったのだけれど、全然そういうのじゃない。

ライスにとろとろのチーズが絡めてあってねっとり濃厚で凄くおいしい。しかもなかなかのボリュームだ。料理へのこだわりを感じる一品だった。

 

そのあともマリオネットたちのプロフィールを見たりしながらまったりしたり、マリオネットたちが代わる代わるおしゃべりしに来てくれたりと楽しい時間を過ごすことができた。メイドカフェとかって「写真詐欺」というかプロフィールに惹かれて、実物を見てがっかりみたいなこともあるのかと思ってたけど(私は偏見の人なのだ)、みんなプロフィールの写真通り(あるいはそれ以上に)可愛らしかった。

エロゲの話をしたり電動工具の話をしたりメイドカフェ巡りしてみると楽しいよとか教えてもらったり話題も豊富かつ偏ってて素敵だ。

 

気分がいいのでマリオネットと一緒にチェキを撮ってもらう。中二病ポーズをリクエストしたらえらいクオリティーの高い中二病ポーズで撮ってくれた。

チェキが取れたら落書きタイムだ。「なんか中二病な名前考えて」とのことだったので考える。マッドサイエンティストな感じがいいけどなんかあるかなぁ…。

ドクター…。ドクター・ストレインジラヴ、は分かりにくいよなぁ。

 とか考えてる間にも落書きは進む。あんまり待たせるもんじゃないな。

「ドクターマンハッタンでお願いします。 」

ウォッチメン (字幕版)
 

 我ながら謎のチョイスをしてしまった。ドクターマンハッタンて「ウォッチメン」の”ォ”の下にいる全裸の青いやつだぞ。

ま、まぁいいか。「ウォッチメン」面白いし。

 

チェキも撮って満足したのでそろそろ会計だ。

それなりに長いこといたのでまあまあな値段だったけど、楽しかったからいいや。

会計が終わるとエレベーターまでマリオネットが見送ってくれる。

今日はありがとう、インフルエンザに気を付けて、花粉症に気を付けてとねぎらいの言葉をもらいながら帰路につく。

 

私が東京に来る機会はあまりないけれど、機会があればまた来れたらいいなと思った。

 

そうだ、今回買ったエロゲが楽しかったら次はマリオネットのおすすめの「みさくらなんこつ」のやつを買おう。

 

建物を出て見上げた秋葉原の空はすっかり晴れ渡っていた。

 

ED 谷山浩子「そっくり人形展覧会」


『「そっくり人形展覧会』 (谷山浩子)